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犯罪を起こさない方法を考える

あんたも毎日のように流れてくる殺人だの放火だののニュースを眺めているかい?

俺みたいな非アクティブな生活をしているやつから見るとだよ。
そんな究極的な行動をしなければいけないって状況が見えなかったりするんだけれども、現実にはそう言う行動を起こすヒトってのが居るってのがあるんだよな。

ついこないだ、近所で強盗殺人事件が起きたんだけれど、環境さえ整っていれば強盗殺人なんて非効率な方法じゃなくて、真っ当に働いて利益を得るって方が継続性を確保した形で生活していけそうじゃんか。

でも強盗殺人事件は起きた。

なぜだ?

今回は殺人や放火と言う究極の行動を起こしてしまうヒトの気持ちを想像する回だ。

ちっと闇の感情ってのを想像してみるか。


経済的な困窮

まずもって思ったのが経済的な困窮だ。

普段の食料を購入することもままならないほど経済的に困窮していたとしたら誰かから何かを奪って生き延びたいって思うのは想像に難くない。

生活保護を受給するって方法があるじゃないかって?
たぶんだけれど、そんな経済的に困窮しちゃう立場のヒトってその制度の利用方法すら意識できていない可能性がある。

普段から意識を持っているヒトはいざとなれば役所に相談すれば良いって思えるかもだけれど、そんな意識を持つ間も無く貧困に追い詰められたヒトはそんな意識を持てないってのはありそうな話だよな。

もちろん、貧困のレベルってのはあると思う。
ぶっちゃけ日本での貧困レベルって本当の貧困国のヒトたちに比べればなんとかなる部類って世界的には見られていると思う。

それでもさ。
ヒトってのは「今」を変えることをすごく怖がるじゃん。俺を含めて。

「今」を維持したい。
そのために究極的な方法で「今」を変えにいってしまう。

なんつージレンマだ。

ヒトへの感情

もうひとつ流れてくるニュースから伝えられているのが「感情」を原因とした究極の行動だ。

要するに恨みつらみってやつだな。

この場合、この感情ってのを発生することをヒトは抑えることは出来ない。

で、抑えることの出来ない感情に理由を言葉で後付する。

「あいつは俺の気持ちを裏切った」
「あいつは俺の大切なものを奪った」
「あいつは生理的に受け付けられない」

色んな感情の言語化ってのはあるだろう。

で、その感情ってのを感じていない他人からするとだ。
「そんなに嫌なら離れればいいじゃん」ってなるやつだ。

ところが、ここでもヒトの特性が効いてくる。

「今」を壊したくないんだよ。

ここで言う「今」は色んな意味を持つかもしれない。
「恨んでいる」って状態を維持したいと言う気持ち。
「恨んでいる前の今」を取り戻したいと言う気持ち。

積み重ねた結果として手に入れたはずの「今」を取り戻したいと言う感情。

その手段として究極の方法を選択してしまったってケースはあるのかもしれない。
そんなことをしてもかつての「今」を手に入れることを理性ではわかっていたとしてもね。

究極の行動をしないための方法

じゃあ、現実問題としてヒトは誰でも究極の行動を抑制出来ないってことなのか?

そうなのかもしれないけれど、そいつを認めちまったらヒトは幸せになれないって認めるようなもんじゃんか。

そいつだけは断じて認められん。

ヒトは幸せになるために生きているはずだ。

じゃあ、どうするのか?

俺自身は、誰かにそんな究極的な感情を持った記憶は無い。
なので、ホント言葉遊びのような表現でしか無いとは思う。

その上であえて言葉にしてみる。

話そうか。

それにつきる気がするんだ。

何?そんなんしてるに決まってるだろうって?
まあ、そうかも知れない。

その上で、「話す」ってのの本質みたいなものを考えてみる。

話すってのは自分の言いたいことを言うって行為じゃなくて、自分の言いたいことと相手の言いたいことを交換し合う行為だと思うんだよな。

つまり自分の考えを相手に伝わるように言語化するって作業と、相手の言語化された気持ちを自分の中に再生する行為なんだよな。

これさぁ。

ホント難しい。
難しいゆえに今の悲惨な事件が起き続けてしまっているってことなのか。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは、どうすれば「話す」と言う手段を使いこなせるんだろう?

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