ねえ、おばあちゃん
ねえ、おばあちゃん。
小さなときは、みんなで一緒に旅行に行ったよね?
伊豆の大室山に行ったとき、覚えてる?
まだ小さかった僕はあのお椀のような山を見て、すごくはしゃいでいたっけ。
おばあちゃんは、僕が車道に飛び出さないように手をつないでいてくれたよね。
それで、いざリフトで山登りっていうときになって、初めてリフトを見た僕は、なんだかとても怖くなって泣き出してしまったっけ。
その時も、おばあちゃん。手をつないでくれていたよね。そして、僕に「大丈夫、楽しいよ」って言ってくれたっけ。
だから、僕は泣きながらでもリフトに乗ることができたんだよ。
中学校に入って、初めて学ランを着たとき。おばあちゃん、涙を流して喜んでくれたよね。
「立派になったね。これからいろんな楽しいことがあるよ」ってそればっかり。
まだブカブカの学ランを着た僕は、なんだかとても落ち着かなくって、しきりにカラーのところに指を突っ込んでいたっけ。
それでもね、おばあちゃん。
おばあちゃんが喜んでくれて、僕はとっても嬉しかったんだ。
大学でまったく授業についていけなくて、友達と遊んでばかりいた時。
おばあちゃん、「大学は楽しいかい?」って聞いてくれたよね。
僕は「まあまあだね」なんて答えたっけ。
でもね、あの時僕は「大学なんて意味ない」ってホントは思っていたんだ。
うわべの友達づきあいも、意味の分からない授業も、面倒くさいレポートにもうんざりしていたんだ。
それなのにおばあちゃんったら、「楽しいかい?」なんて。
楽しくなければ、僕はまるでダメみたいじゃないか。
なんで、そんなこと言うんだろう。そんな風におばあちゃんのこと思ったりもしていたんだ。
ごめんね。きっと僕はまだ子供だったんだ。
社会人になって3年くらいたったころ。僕はだんだん自分のやっていることが分からなくなってきたんだ。
来る日も来る日も仕事、仕事、仕事。
次から次へと迫ってくる締切。
僕はただ、作業に追われるだけの日々を過ごしていたっけ。
毎日仕事で遅くなる僕に、「毎日たいへんだねぇ。そんなにお仕事が楽しいのかい?」っておばあちゃん、聞いたよね?
「楽しいわけ、ないじゃないか!」
僕は、そう怒鳴っちゃったよね。
そして、僕はなんだかどうでもよくなってしまって、どこか遠くに行きたいって思ったんだ。
気が付くと僕は、山に登っていた。
小さいときの大室山とは全然違う山だったけれど、山に登っているときはいろいろなことを忘れることができたんだ。
澄んだ空気も、川のせせらぎも、小鳥のさえずりも。
美しいものすべてが僕を癒してくれるような気がした。
美しい冬の山は、さらに僕を現実から遠ざけた。
僕は、このために生まれたんだ。
そう思ってしまうくらいに山にのめりこんだ。
そして、今。
僕はクレバスの中で、僕の一生を閉じようとしている。
ねえ、おばあちゃん。
僕、今、とっても楽しいよ。
美しく、厳しく、エコヒイキもない山に抱かれながら僕は僕のまま旅立つことができるんだ。
だから、おばあちゃん。
「楽しかったかい?」
そう、また聞いてくれるよね?
僕は、「楽しかったよ」って今なら笑顔で言うことができると思うんだ。
大好きなおばあちゃん。
また、会えるといいね。
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