コンテンツが小分けにされる理由
あんたは最近のアニメの放映スタイルが変わってきているって感じるかい?
一昔前は一気に50話のアニメ放映をして、それで一つの物語を完結させるなんてスタイルが結構あったと思う。
でも今は1クールで話を細切れにして、一定期間を明けてからその続きを放映するなんてスタイルが多いよな。
この変化ってのはどう言う事情によるものなんだろう?
今回はアニメの放映スタイルの変化について考えてみる回だ。
なんつーのか、業界のヒトの工夫ってのを想像してみようぜ。
物語を小分けにするメリット
そもそも、なんで今の小分けにするスタイルがメジャーになっているんだって話からだよな。
おそらくは制作期間をキッチリとりつつ、小分けにすることによって「博打」を打たずして市場に価値判断を委ねるって側面があるよな。
例えばとある物語を4クールに分割して放映するとする。
1クール目の序盤の視聴率等の評価を見て「このシリーズは続けることで利益が得られそうか」って判断をすることが出来る。
昔のアニメーションやドラマみたいに「打ち切り」って言う計画変更をせずに済むってわけだ。
計画の変更ってのは実にコストがかかる。
各ステークホルダーたちの利害調整を始めとして、そもそもやりかけていた制作の仕事を一部無駄にしちまうこともある。
でも物語を小分けにすることによって、そのリスクを最小限に抑え込めるってわけだ。
物語を小分けにするデメリット
とは言えだよ。
物語を小分けにするデメリットってのも確かにあると思う。
なんつってもクリフハンガー的な1クールの終わりをされるってのは視聴者にとってストレス以外の何物でもないからね。
しかも制作サイドからすればクリフハンガー的な表現をすることは別媒体の購買促進にもつながるから、そうしない理由がない。
あ、視聴率が低迷して1クールで終わらせちゃおうって考える場合は別ね。
あとは作品としての緊張感が一旦切れちまうってデメリットもあるか。
「お前たちの明日はどっちだ!!じゃじゃーん」みたいに物語を盛り上げても、その続きが半年後とかになると、どうしてもそのテンションを維持して見るのって難しいもんな。
それでも物語を小分けにする意味
そんな風にさ。
物語を小分けにするってのはメリットもデメリットもあるわけだ。
でも今は小分けにするのが主流になってきていると思う。
なぜか?
思うに、コンテンツを楽しむための環境が激変してきているからだ。
昔はコンテンツを楽しむ方法はテレビ放送か映画館しかなかった。
音声ベースならラジオとかCDとかになる。
たしかにビデオやDVDでコンテンツを購入するってのもあったけれど、何より高価だし、場所をとる。
この場所をとるってのが致命的なんだよな。この狭い日本ではさ。
そこに来て、ここ10年くらいで普及したストリーミング配信サービスってのが意味を持ってくる。
なんつっても過去の作品についてはこの「待つ」って言う視聴者側のデメリットがなくなるし、「場所をとる」って言うデメリットもなくなる。
配信者側にしても、コンテンツがロングテールになるから、関連商品の販売機会が増えることになる。
ガンプラとかね。
最近だと鬼滅の刃の煉獄さん関連グッズもそうか?
かつ最初にかいたメリットの一つである制作時間を確保し易いってのはでかいんだよな。
いまやジャパニメーションは世界中で楽しまれている。
もちろん昔から他国で受け入れられてきたコンテンツはある。
ベルサイユのばらとかね。
でも、ジャパニメーションを受け入れるヒトが増えてきているのは、明らかに時間をかけてクオリティを高めてきたってのがある気がするわけよ。
かつて、手塚治虫さんが作り上げたアニメーションってものに対する日本人のニーズ。
そこには地獄のような労働環境に支えられていたなんて話もよく聞く。
そもそも技術的にアナログでこなしていかなきゃならなかったわけだしね。
そこに制作のための技術的な改変。
時間をかけてもなんとかなるかもしれないと思わせる配信環境。
そんな環境の変化が今の俺たちを楽しませてくれているってことなのかもしれない。
なあ、あんたはどう思う?
今のコンテンツのクオリティは何によって作り上げられていると思う?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?