仲間が泣かないように出来る強さ
あんたにもどうにもできないことってのを実感することがあるかい?
この間、会社の同期のやつからもう大分前に会社をやめちまった元同期のやつの今の状況を知らせてもらった。
結論としては悲惨の一言だった。
詳細は省くけれども、俺の想像できる悲惨さを軽く凌駕してくるくらいの悲惨さだった。
その悲惨さはまるで物語のようだったんだ。
悲惨すぎて現実感が伴ってこない。
そして、同時にその元同期に対して俺が出来ることはほとんどないって現実がまじまじと俺のなかに感じられた。
今回はその悲惨な状況を産み出したものについて考えてみる回だ。
モニターの向こうではない、地続きの世界にある悲惨なことについてちっと付き合ってくれよな。
経済という仕組みに乗れなかったヒト
詳細は書かないけれど、その悲惨な状況ってのは根っこは経済的なものに原因があるような状況だった。
そいつはお世辞にも有能なやつではなかった。
同期の新人研修中にもそのキャラクターもあいまって、見事ないじられキャラの位置を不動のものにしていたと思う。
でも、みんなと付き合いながら自らの存在感を発揮していたって記憶がある。
そのときの俺は異様にとんがっていて、友達と呼べる同期も数えるほどしかいなかったと思う。
そんな俺に比べたらそいつはみんなと溶け込みながら笑顔で過ごしていたと思うんだ。
ところが配属が決まって、数年が経ったとき。
そいつは職場との折り合いをつけられずに会社をやめてしまった。
ざっくりそのときの状況を聞くと、折り合いがつけられないってよりはシンプルにいじめられていたような印象すら受けたんだよね。
事実関係は結局俺としても理解できないままなんだけれど、その元同期が会社をやめちまったってのは事実なわけだ。
そのときの俺は「弱者が淘汰されるのは仕方ない」とかわかったようなことを思っていたと思う。
今思うとだよ。
あいつをやめさせた周りのヒトもまた弱者だったんだよな。
今みたいに仕事のやり方がある程度定型化できている部分があまりなかった時代。
誰しもが創意工夫でなんとか手元にある仕事をこなしていった時代。
そんななかで、ヒトから認められるように自己アピールができなかったヒト。
俺の元同期はそういうヒトだったのかもしれない。
自らを建て直すきっかけ
そんな元同期は会社をやめてから、家族の介護をつづけつつ、職を転々として過ごしていたらしい。
そのなかである程度は落ち着ける仕事を見いだしたものの、その職場環境に起因して体を病んでしまったらしい。
結果として職を追われ、経済的困窮にみまわれる。
同時に親の健康状態も悪化していく。
愛する妻からも見放される。
かわいい子どもとも別れ離れ。
たてて加えて、交通事故を起こしてしまい、お金が必要になるも手元にお金が残っていない。
もうさ。
フィクションかってくらいの転落人生の話を聞いたわけだ。
あいつはどのタイミングで何ができたんだろう?
いや、普通さ。
そういうことの顛末を聞いたあとなら、「ばかだなぁ。そんなんその時にこうしとけば良かったじゃん」とか後の祭りの意見を言うことができそうなもんじゃんか。
正直なところ、俺はこの話を聞いてあいつがどのタイミングで何をすれば良かったかなんてことを思い付けなかった。
それどころか、いつ自分自身が同じ境遇になるかも知れないってことを否定しきれなかった。
でもさ。
そいつはさ。
相談したんだよ。
俺とは別の同期に「どうしたらいいか」ってさ。
アラフィフにもなろうかって年になって、かつての同期に相談したんだよ。
その事を聞いて思った。
俺にそんなこと出来るんだろうか?ってさ。
俺は友人に自分の弱味を相談できるほど強くない。
家族にだって弱味を相談できるほど強くない。
誰かに何かの負担をかけるのを自分の責任でやれるほど強くないんだ。
そして思う。
その強さをどうして俺たちと同じ会社に勤めている時に使ってくれなかったんだって。
そう思ったあとに思う。
あ、そうか。
俺が強くないからか。
俺の弱さがやつの立ち直るキッカケを奪っていたのか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは誰かを救うための力をどうすれば手に入れられるんだろう?
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