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「聞かない力」という言葉選び

あんたは「聞かない力」って言われたらどんな印象を持つ?

自民党の萩生田政調会長がどうやらこの「聞かない力」を発揮してガンバル的な発言をしたんだそうだ。

この記事によると発言内容はこんな感じらしい。

総裁(岸田首相)にならって『聞く力』を発揮して、時には『聞かない力』も発揮しながら取りまとめをしっかりして、方向性を決めていく

出典:上記記事

要するに決断するべきはすると言いたかったんだろうなぁ。

今回は会話における言葉選びについて考えてみる回だ。

ちっと、自分ごとだと思って考えてみようぜ。

萩生田政調会長の発言のまずさ

萩生田政調会長の発言は、俺が想像した通り決断するときにはするよって意味だったとしても「聞かない力」って言葉のチョイスはあまりにも政治家としての資質を問われかねないくらいにマズイと思うんだ。

言葉の意味としては、決断するためにはヒトの意見を無視する必要があるって言っているようなもんだからね。

世の中には様々な意見ってのが存在している。

萩生田政調会長の発言はこの様々な意見のうち、自分が良いと判断したものを取り上げるという決断をするって意味になると思う。

議論ってそう言うものじゃないじゃん。

誰かの意見が100%正しくて、他の意見は間違っているって判断をするためのものじゃないじゃん。

各々の意見をできるだけ分析して、エッセンスを導き出し、多くのヒトが納得できる形を模索する作業じゃん。

なのに萩生田政調会長は「聞かない力」が自分の強みだと言った。

これ、完全に言葉を間違っているとしか思えないんだよなぁ。

萩生田政調会長が言葉を間違えた原因

でもだよ。

仮にも日本の政党の第一党である自民党の政調会長にまでなる御仁がだ。
こんなその辺のオッサンにでもわかるような言葉の選択ミスをなんでしたんだろう?

しかも、政調会長就任直後の会見なんて、事前に作戦を練って慎重に言葉選びをしているはずじゃんか。

一つの想像としては、萩生田政調会長は俺みたいなその辺のオッサンと考え方がまるで違うって可能性だよな。

つまり、本気で「聞かない力」が必要だと確信しているってやつ。
そして、その考えはその辺のオッサンにも受け入れられると思っているってやつ。

政治家の国会でのやり取りを見ていると、本気で相手の意見を聞いていない様子が見て取れる。
居眠りしたりしてね。

結論は各委員会、分科会で出している。
国会はそれを追認するだけのセレモニーにすぎない。

そんな考えが見え隠れする。

そして委員会でも、党の方針に従った意見を言い合うだけで、結局は多数派の用意した意見が素通りするケースがほとんどに見える。

この状況を見れば萩生田政調会長が「聞かない力」を必要だと本気で思っている可能性はゼロじゃないのかもしれないと思うじゃんか。

もう一つの可能性は岸田総裁の課題点をフォローする体制になりましたよという表現をしたかった可能性だ。

岸田総裁は「検討使」なんて揶揄をされるくらい、決断をしないというイメージが強くなりつつある。
そして、岸田総裁は「聞く力」を全面に出して活動をなさっている御仁だ。

つまり、萩生田政調会長は「聞かない力」という言葉を選ぶことで、自分自身が岸田総裁には出来ないところをやっていくんですよと表現したかったのかもしれない。

どっちの原因だったとしても、俺の様なその辺のヒトにとっては、到底受け入れがたいものだよな。

自分の言葉選びを見直す

そんな風に萩生田政調会長をとっちめてばかりでもなにも産まないので、「じゃあ自分はどうなんだ?」って考えてみる。

最近、仕事で英語を使うことが多くなってきたせいもあるんだけれど、俺の文章ってホントに「主語」を省いていると思うんだよ。

っていうか、日本語ってそう言う風にあえて主語を省く事によって合意をするように作られているって感じすらある。

例えばさ。
「嘘をついてはいけない」
って文章があったとする。

この場合、誰が嘘をついてはいけないのかを意図的に省いている。
なぜなら俺も嘘をついてはダメだし、あんたも嘘をついてはダメだ。
親も嘘はダメだし、子どももダメだ。
老人も嘘はダメだし、若者もダメだ。

こう言うふうに主語をあえて省くことで表現の範囲を広げる仕組みになっているんだよな。

ただ、主語を省くことで、正確に意味が伝わらないことも普通にある。

俺自身の経験でも他のヒトのnoteを引用しつつ、自分の意見を書くこともあるんだけれども、中には引用させてもらったヒトから、自分の意見とは関係ない記事だから紹介は辞めてくれってコメントを頂いたこともある。

俺の中では因果関係があったと思って書いているわけだけれども、それが伝わらなかったって現実があるわけだ。

結果、その記事からそのヒトのnoteの紹介部分を削除して、全体の文章を調整したんだよね。

思い返してみると、そのヒトの意見との共通部分の表現があまり明瞭じゃなかった気もするんだ。
それこそ主語を明確に表現したほうがいいケースだったのかもしれない。

いやぁ、日々修行だなぁ。

なあ、あんたはどう思う?

萩生田政調会長は俺のnoteのように言葉選びを間違ってしまったんだろうか?
それとも俺の想像通りに、考え方が俺たちとは根本的に違うんだろうか?

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