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芸能人が目の前から去っていく悲劇

あんたもいろんな有名人がいろんな不祥事を起こしているって状態を眺めているかい?

山口達也さんもそうだし最近だと広末涼子さんもそうだけれど、彼ら彼女らの才能を味わえなくなる環境が出来ちまうのは、シンプルに俺たちにとっての損失なんだよな。

まあ、有名人に限らずなんかしらのミスが起きることによって俺たちにサービスを提供してくれているいろんなヒトが社会的に切り捨てられてしまうってのは普通に起きることだと思う。

今回は社会に価値を提供してくれていたヒトってのについて考えてみる回だ。

まあ、ヒトを否定するってことの意味を考えてみようぜ。

広末涼子さんを否定する意味

まあまあ、報道されていると思うんだけれど、広末涼子さんの不倫報道に対して「いかがなものか」と言う意見は普通にあると思う。

いろんなニュースで叩かれまくってたし、そう感じているヒトはまあいるだろうな。

でも個人のブログとか発信しているヒトの内容見るとほぼほぼ否定的な意見が出てないんだよ。

それよか夫のキャンドル・ジュンさん?(で、あってる?)への批判のが目につく。

ぶっちゃけ、この広末涼子さんの不倫のニュースには俺個人としてはほぼ思い入れが無い。

ただ、広末涼子さんという欠かし難いタレント性を持った人物が所属事務所から無期限の謹慎処分を受けたって話をみて、「おいおい、俺たちから広末涼子とんなよ」とは思ったんだよな。

だってよ?
広末涼子さんがメディアを通じて俺たちに与え続けてくれていたものって、別にプライベートでどうしてるとか関係ないべ?

結婚していようが、不倫していようが、全然犯罪をしているわけじゃないんだし。
いや、刑事罰をもらうような事でも民事罰をもらうような事でも、単純にその罪に応じた法的な罰を受けたらそんなんどうでもいいじゃん。

ましてや不倫ごときで社会的活動を制限されるのって違和感しか無いんだよん。

山口達也さんを否定する意味

今までの俺の記事を見まくっているヒトは知ってるかも知らんが、俺はね、山口達也さんが大好きなのよ。

あれ程のガテン系のリーダシップを全面に押し出したタレントさんってそうはいないべ?
DIYって意味ではヒロミさんとか山下健二郎さんとか居るけれどね。

リーダシップって意味ではそれこそ城島茂さんだろうけれど、なんつーんだろう?現場で放つ色が違う。

もちろん城島茂さんも失い難い御仁だと思うよ?

たぶん、城島茂さんは「隊長」で山口達也さんは「軍曹」なんだよな。
より土に近い場所でみんなを引っ張ってく感じ。

城島茂さんがみんなに空を見せているところで、山口達也さんがみんなに土を見せる感じ。

でも、そんな山口達也さんはとある番組の共演者にちょっかい出したってんで結果的に俺たちの眼の前から去っていった。

2018年だったんだな。
その当時から思ってたんだよ。
「なんでそんな一つの事件で俺たちから『山口達也』を奪うんだよ」ってね。

いや、誰が奪ってんの?って話になるとちとややこしいけれど、建付け上は城島茂さんがってことになるのかね?

でも実質は「社会」って言うよく実態がわからないものなんだと思うんだよな。

確かに山口達也さんが当時の共演者を傷つけたのは事実だと思う。
でも事件そのものは起訴猶予って言いう「刑事罰を受けない」と言う判断が裁判所でなされているんだ。
この事件だけで行けば「前科持ち」ではないんだよ。

ところが山口達也さんが受けた社会的制裁は計り知れないものがある。

結果として酒に溺れ、飲酒運転事故とか起こして、さらなる深みに陥り、それでも這い上がろうとして会社を立ち上げて、それすらも否定的な意見を浴びさせられているって聞く。

いったいさ。
どうなれば山口達也さんという価値を俺たちは取り戻せるんだ?

広末涼子さんも山口達也さんもだよ。
俺たちをいろんなエンタメにいざなってくれてたヒトじゃん。

広末涼子さんに至っては、刑事罰も民事罰も犯してないんだぞ?
それを「社会」なる何者かは天下の大罪人がごとくに排斥する。

おかしくねえか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやったら「モラル」と言う名の「感情」と決別できるんだ?

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