ムラ社会と変化
あんたはミスコンってイベントについて思うところがあったりするかい?
なんかニュース見てたらこんなのがあったんだ。
ははあん。
つまり日本国籍を正式にとっていて、子どもの頃から日本で暮らして、ガッツリ日本人として育ったヒトでも、見た目が「日本人っぽくない」という理由でミス日本という称号にふさわしくないという感覚を持っているヒトが一定数いるってことなんだな。
いや、俺としてはぶっちゃけ日本人なんだから良いじゃんで終わっちまう話なんだけれどさ。
これから先、両親が外国籍の日本人って増えると思うのよ。
政府としても移民を受け入れる方向性での議論を進めているように思うしね。
国際結婚だって普通に増えていっている感覚があるもんよ。
そしたら、日本国籍を持っているヒトの結婚相手が日本国籍を取得するケースも普通に増えると思うんだよな。
※逆に日本国籍から離れていくヒトもいるだろうけれど。
今回は日本国籍について考えてみる回だ。
ちっと俺たちの国民意識ってやつについて考えておこうぜ。
ムラ社会という感覚
日本って国はさ。
島国だってのもあって、諸外国からの直接的な干渉ってのが少ない状態だったと思うんだ。
なにしろ海を渡るってのは、物理的に障壁なわけじゃん。
それゆえに、日本独自の文化みたいなものが作り上げられたって側面はあると思う。
それと同時に「他人様」なんて言葉に代表される様に、自分たちのコミュニティと別の集団に対しては、不干渉でいるのが礼儀みたいなところがあるよな。
いわゆる「ムラ社会」ってやつだ。
別のコミュニティに干渉しない代わりに、自分たちのコミュニティにも干渉してくるなよって暗黙の前提があるわけだ。
冒頭のニュースで取り上げられていた「日本人っぽくない見た目」のヒトがミス日本に選ばれるということに対する違和感を持つヒトがいたって事実は、いまだに日本にはムラ社会という前提が浸透しているってことなんだよな。
何をもって日本人なのか
で、そのムラ社会という感覚を俺たちが持っているってのが現実だとしてだ。
そもそも何をもって日本人だって俺たちは認識しているんだ?
だってそうだろ?
ぶっちゃけ東北のヒトと沖縄のヒトって見た目の傾向がまあまあ違うじゃんか。
東京なんて、ありとあらゆるところからヒトが集まるから、見た目って意味だとホントに多様なヒトがいっぱいいるじゃん。
逆に、在日韓国人のヒトなんて、見た目的には日本人と見分けつかないけれど、国籍としては韓国だったりするわけじゃん。
文化的にも日本で育って日本人と同じ感覚を持っていて、なんなら日本語しか話せないってヒトでも国籍的には日本人じゃないですって話もあるわけだ。
ムラ社会の感覚が恐れるもの
で、実際のところ俺たちの中にはムラ社会の感覚ってのが根付いているってのがあるとしてだよ。
俺たちは、ミス日本をとったヒトが日本人っぽくない見た目だってことに、どんな脅威を感じているんだろう?
言い換えるなら、日本人という存在の価値観をどこに求めているんだろう?
いや、俺としては最初に言った通り、ミス日本には日本国籍をもってりゃ良いじゃんって思ってはいるのよ。
でも違和感を持つヒトがいるからこそ、冒頭のニュースが成立するわけで。
その違和感の源泉。
要するにさ。
変わってほしくないんだよな。きっと。
何がって?
何もかもだ。
いくら今が辛い状況だとしても、逆に他人からみれば幸せな状況であっても、ヒトってのは変化が無いと状況を把握できない。
で、状況を把握するってことは、少なからず対応を求められるってことになる。
俺たちは見慣れた世界が変わることを本質的に恐れているんだと思うんだよな。
そう考えると、俺たちが守りたいのは日本人という存在じゃない。
日本人という環境なんだってことだよな。
俺たちは変わりたくないという感情に従って、「日本人っぽくない」ミス日本に違和感を感じているってわけだ。
なあ、あんたはどう思う?
この変化しまくっている世の中で、変化を恐れ続けるという責め苦を俺たちは味わい続けていくしかないんだろうか?