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AIの感情という物語

あんたも日々流れてくるAIの進化にまつわる話を見聞きしてたりするかい?

最近だとMidjourneyをはじめとするAIによるアートってのが話題になっていると思うんだよね。

このニュースとかだと、AIが作った画像がアートのコンテストで優勝しちまったって話らしい。
なるほど、そいつはすごい。

もとのコンセプトはキーワードという形でヒトがAIに渡しているにしても、映像化というプロセスはAIがやっているわけだから、ヒトという生き物はアルゴリズムによって産み出されたものについても価値を見いだせるという実例ってわけだ。

今回はコンテンツへの感動ってものについて考えてみる回だ。

ちっと、俺たち自身の存在価値ってやつを考えてみようぜ。

芸術作品に感動するってこと

俺がワカゾーだったころ、ある博物館に行ったことがあったんだよ。

その博物館では古いオルゴールがたくさん展示されていて、俺たちが普段見るような小さなオルゴールもあったし、巨大な円盤に音楽を刻み込んだものを演奏する巨大なオルゴールも展示されていた。

そのオルゴールそのものもとても美しくて「ああ、芸術品ってこういうものかもな」って思ってたと思う。
でも、何より俺の心を動かしたのは、「それを作ったヒトがいる」って事実だったんだよね。

当たり前だけれども、オルゴールってのは製品だ。
それを求めるヒトがいるから生まれたものだ。
そして、その「オルゴールを求める」というニーズに答える形で職人が自ら鍛え上げた技を駆使しながらオルゴールという製品を作り上げる。

つまり、そこには実に多くのヒトの思いってのが込められているわけだ。

その思いが時を経て俺の目の前にある。
その思いが目の前のオルゴールにこびりついている様に感じられたんだよ。

変な言い方をするならば、その怨念にも似た執念みたいなものを目の前のオルゴールに感じたって訳だ。

AIに怨念はあるのか

で、今回のニュースで扱われたAIによって作り上げられた絵画だな。

当然だけれども、AIが作り上げている以上はヒトの怨念だとか執念ってのはその作品には宿っていないってことになる。

じゃあ、俺はその作品を目の前にしたときにあのオルゴールから感じたものを感じることはないんだろうか?

答えは「わからない」だと思う。

多分だけれども、俺がオルゴールに感じた何かってのは俺のなかで勝手に作り上げられた物語なんだよ。
実際には俺はそのオルゴールを作ったヒトのことをまるで知らなかったし、そもそもオルゴールが作られる工程についての知識もない。

ただ、俺は「そのオルゴールに携わったヒトに対して敬意を表したい」と思っただけだったんだと思う。

では俺はこの絵画を描いたAIに敬意を称したいという感情を持っているんだろうか?

AIを作り上げたヒトには当然のように敬意を感じる。
こんだけの成果を出す仕組みを成立するためにどんだけの思いと
労力を突っ込んだんだってのは想像を絶するものがあると思うしね。

同時にこの絵画のためのキーワードを選出したヒトにも敬意を感じる。

恐らく試行錯誤の末のものだと思うしね。

でも、AIには?

俺のなかでロジックそのものに敬意を感じた経験がないんだよ。
間違いなく俺という個人が持っている能力を軽々と越えた成果を出しているのにも関わらずだ。

恐らくは、自分と同じ「感情」をAIが持っているということを俺が確信できていないってのが根っこにあるのかもしれない。

でもそもそもだ。
俺以外のヒトが感情を持っているってことを俺は証明できるのか?って言われると「うぐぐ」ってうめいちゃうやつだ。

単純に俺がその感情という物語を信じたいから信じているだけって事にもなる気がする。

ぶっちゃけ、今回のニュースで取り上げられている絵画だって、AIが作ったものですよって情報を事前に聞いていなかったら、俺にヒトとAIの差を見分けることが出来る自信はまるでない。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは会ったこともない昔のヒトの感情という物語と同じように、触れることもできないAIというロジックの感情を想像できるんだろうか?

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