見出し画像

リーダーが紡ぐ物語が作り出すもの

あんたもYou Tubeで動画を楽しんでいるかい?

我が家でテレビでYou TubeとかHuluとかのオンデマンドコンテンツを楽しめる環境を作っておいたら、小学3年生の我が息子は一切地上波テレビ番組を積極的に見ることが無くなったって事実がある。

そりゃ~生まれたときからインターネットがあって、タブレットがあって、テレビがオンデマンドで視聴できるって環境があったらそうなるのは必然ってもんなのかもしれないよな。

そんな中で一つ気付いたことが有るんだ。

あり?なんでこんなに一人の動画が多いの?ってこと。

今回は、仕事仲間って存在について考えてみる回だ。

ちっとばかり俺の思想散歩に付き合ってくれよな。

YouTuberたちの孤独

確かにYou Tubeに上げられている動画の中で誰かと一緒に写っているって動画って結構少ないと思うんだ。

ヒカキンさんを始めとして、有名なYouTuberさんたちの動画ってたまに誰かとコラボレーションしました~ってのは有るけれども、ほとんどがひとり語りの構成になっていると思うんだ。
#俺が見ているものが偏っている

それは出演交渉だとか利益の分配の手間がかかるだとかの事務的な手続きの煩雑さが生み出しているって背景も有るとは思うんだけれども、それが本質なんだろうか?

これはもう、俺の想像に過ぎないんだけれども、YouTuberという仕事に対して「他人との関わりを最小限にできる」ってイメージが無意識のうちに俺たちの中にできてしまっているんじゃなかろうか?

俺たちは仕事に限らず多くの悩みを人間関係に感じてきていると思う。
説によれば、多くなんてもんじゃなくて、全ての悩みは人間関係に通じているって言うヒトもいるくらいだもんな。

そんな中で一人で動画を撮って、一人で動画を編集して、一人で動画を公開することで収益を上げられるYouTuberというビジネスモデルに俺たちは憧れのような感覚すら抱いていると思うんだ。

でもさ、とある有名YouTuberさんが言ってたんだよ。
寂しかったってさ。

その方は今は会社を立ち上げて編集を一緒にしてくれる社員さんを抱えて動画配信を続けているんだけれど、動画配信を始めた頃は本当に誰とも会わない生活に非常に孤独を感じていたっていうんだよね。

ニューノーマルでの仕事仲間

この孤独感ってやつは、俺たちにとっても他人事じゃない。

俺たちは会社という組織に所属して、同じ場所に通い続けて、同じヒトの顔を毎日見るって仕事のやり方をしていた。

ところがニューノーマルの名の下に在宅勤務が推奨される世界観が始まったことによって、俺たちはさっきのYouTuberさんが感じたのと同じような孤独感にさいなまれる可能性があると思うんだよ。

例えば今年配属になった俺の職場の新人君は同じ部の面々の顔を見たこともない。
写真くらいは見ているかもしれないが、そもそも同じ組織の仲間と認識する機会が全く無い。

そこにあるのはデジタルに「同じ組織のヒト」って管理されているデータベースが有るだけだ。

そんな状況で「一緒に仕事をしている」って実感を得るのってかなりの無理ゲーだよな。

俺たちが仲間意識を持つきっかけ

じゃあ、俺たちは何を持って仲間意識を持つのか。

これは仕事に限ったことじゃない。
プライベートでも同じことを整理しておく必要があるよな。

冷静に考えてみると、確かに直接会ったことのあるヒトとは仲間意識を持ちやすい。
オンラインで関わりを持って、そのきっかけで会うことができたヒトは結構な印象が残るし、何かあったらフォローしたいって思いも大きくなることが多い。

でも逆に、オンラインで関わりを作ってない状態で会って話をしても、仲間意識にまで発展しないことも有る。

一体、俺たちは何を持って仲間を認識しているんだろう?

考えてみたんだけれども、それって多分「価値観を共有する」ってことなんだろうな。

同じ価値観のもと、大きな意味での目標を共有するってこと。
それが「仲間」の本質なのかもしれない。

だとすれば、俺たちが仕事の上でも仲間意識を持つためには何が必要になるのか?
そいつはリーダーの語る物語ってことになるんだろうね。

組織のリーダーに求められるもの。そいつは組織に目的に至るまでの物語を語ること。つまりは現代の吟遊詩人ってところなのかもしれない。

同じ物語を共有すること。
それが仲間意識の本質なんだとすればね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが共有する物語の結末には何が描かれているんだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?