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感情と社会と会話と

あんたは名探偵コナンの安室透役の古谷徹さんが降板するってニュースを見たかい?

どうも、ご自身の不倫問題を契機にした降板ってことらしいんだけれど、どうにも違和感が残る。
だって、不倫ってのはあくまでプライベートな問題であって、刑事罰でもなんでもないんだもんよ。

それで社会的制裁を受けるってのは法治国家としてありなのか?
なんつーか、体の良いリンチじゃん。こんなの。

アンジャッシュ渡部さんのことだってさ。
不倫で、さらに女性蔑視的な行為だったってのもあって社会的制裁を食っていた。
これも法的根拠が無い社会的制裁だ。
※不貞行為の場合は配偶者と本人の間での権利関係に対しての法的根拠はあるんだけれど、社会的制裁については無いんだよ。

いやね。不倫は良くないよ。
女性蔑視的な行為だって絶対良くない。

でもね。
「良くない」という感覚でヒトがヒトを裁くってのは絶対やっちゃダメなやつだと思うんだよ。

だって、日本は法治国家なんだから。
法に基づかない制裁ってのはイジメなんだよ。

今回は法の支配ってやつを改めて考えてみる回だ。

ちっと俺たちの感情と法ってのを考えてみようぜ。

ウェルダン穂積さんは言った

ぶっちゃけ安室透役を古谷徹さんが降りるって話は知らなかったんだよね。

それを教えてくれたのはふとしたきっかけで見させてもらう事が多くなったウェルダン穂積さんの動画だったんだ。

ウェルダン穂積さんはいろんなモノマネ芸をやってくれる芸人さんなんだけれど、その御仁のご意見がすごく腑に落ちる話だったんだ。

曰く、週刊誌だったり、出自不明な噂話によって社会的制裁を受けるってことは「社会の脆弱性だ」と言うことだった。

たしかにそうだと思ったんだ。
だって、週刊誌も噂話も選挙と言う手続きによって国民の信託を得ていないんだもんよ。

何?それを言ったら役所が行政指導するのだってダメだろうって?
役所の場合は少なくとも法的根拠ってのを前提に動いているじゃん。

もちろんその法的解釈が行き過ぎているってなれば裁判で負けることもあるけれどね。
少なくとも「良くない」っていう感情で行政指導なりをすることはない。

感情で動く世界

ところが週刊誌なり噂話なりは俺たちの「感情」に訴えかける。

感情ってのは厄介で、俺たち自身にはその発生をコントロール出来ない。
「怒り」「悲しみ」「可笑しみ」どれも発生をコントロール出来ない。

しかも、俺たちはその感情を揺り動かされることを自ら望んでいる。

だから週刊誌を買ったり、お涙頂戴のドラマを見たり、噂話で自らの感情を増幅させようとする。

小説、ドラマ、マンガ、アニメ。
物語ってのは感情を刺激するために消費されているもんな。

ウェルダン穂積さんが言っているのは、それらの感情が誰かを廃絶するって方向に向いちゃうと、それは「社会の脆弱性」になるってことだと思ったんだ。

感情で誰かを否定するってことは、その誰かの可能性を奪うことだからね。
確かにその通りだと思ったんだよ。

不倫で社会的制裁を望む感情

とは言えだ。
不倫をしたヒトなんて見たくもない。
そういう感情を持つってのも実に自然だと思う。

見なきゃ良いじゃん。

話はそうシンプルなことにはならない。

例えば職場で不倫をしてしまったヒトがいたとする。
で、その事実が公然になってしまったとする。

でも、当然そのヒトが抱えている案件はあるわけだから、仕事をする上でそのヒトとやり取りをしないわけにも行かない。

あらかじめ社内規定で不倫したら即クビ、なんてのがあればそのヒトと遣り取りをすることも無くなるかもだけれどね。

でもそういう規定が無ければ、嫌でもそのヒトのことが目に入る。

そこで俺たちは何をしてしまうのか。
「白い目」をそのヒトに向けてしまう。
針のムシロってやつを作ろうとしてしまうわけだ。

ただなぁ。
これって誰も幸せにしないじゃん。
針のムシロを作っている側も、作られている側もね。

それより、俺たちがするべきことってさ。
そのヒトの立場を親身になって聞くってことなんじゃないかって思ったんだ。

言い換えるなら「言い訳」を聞くってことだ。

いわゆる芸能人のスキャンダルがあったときに、俺たちは「謝罪」を期待してしまう。
悪者に仕立て上げたいと思ってしまっている。

もしかしたらその過ちの原因が自分の隣に潜んでいるのかもしれないのに、「そのヒト」が悪いと決着をつけておきたいんだよな。

「自分はそうならない」と納得したいってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

「罪を憎んでヒトを憎まず」と言う言葉をどうやったら体現出来るんだろうな?

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