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「大人」になる条件

あんたは「大人」であるってことについて考える事があるかい?

年齢を重ねていくことで、周囲からは必然的に「大人」扱いされて、それにともなって色んな責任とか担当とかがついて回っていくのは、ごく自然な話だと思う。

でもさ、若者の発信を眺めていく中で、「大人になる」ってキーワードを見ると、ちょっとモヤモヤしたりしないか?

だって、俺たちはいつ「大人」になったんだ?

今回は大人になるってことについて考えてみる回だ。

まあ、オッサンの戯言にちっと付き合ってくれよ。

20歳になった時を思い出す

まず大人になるってなると、社会的には20歳で成人になるってのがあるよな。最近は18歳になったんだっけか?

俺が20歳になったときのこと。
成人式なんてものをやってもらった時のことを思い出してみる。

まあ、成人式なんてみんなしてはっちゃけるもんだとは思うけれど、明らかに俺の感覚では「大人」になったなんて認識はなかった。

まあ、親にお金を出してもらって大学に行っている身分だったから、全然社会に貢献しているって認識はなかったもんな。

でも、普通にアルバイトとかはしていたから、完全に社会に貢献していないとは言えないって側面もあったとは思う。

そう考えてみるとだよ。
なんだ?大人って。

両親に頼らないことは大人の条件か

例えば、両親に頼らないことが大人の条件なのかって考えてみる。

こいつは、全然当てはまらない気がする。

たとえ経済的に独立出来ていたとしても、両親という存在は絶対的な存在感があると思うんだ。

その存在との決別が大人の条件ってなったら、ぶっちゃけほとんどのヒトが大人になってないってことになると思うんだよ。

例えば政治家なんて、二世議員と呼ばれるヒトなんて一生両親の存在に頼らないって状態なんて作れないもんな。

だとすると、大人になる条件として両親の存在との関係性ってのは適当とは言えないってことになるよな。

社会に価値を提供することは大人の条件か

じゃあ、社会になんらかの価値を提供することが大人の条件ってのはどうだ?

こいつもなかなかに難しい話だ。

さっき書いた通り、アルバイトを学生時代にしていたので、その分だけ社会に価値を提供していたって言えると思う。

ってか、別に給与を貰わなくったって、社会貢献ってのは出来る。

ぶっちゃけ、ここのnoteで無料で記事を提供してくれているヒトは大勢いて、そのヒトたちはその記事を通じて社会貢献しているということだって普通に言えると思う。

そのヒトが大人かどうかってことをあんまり気にしたりしないけれど、大人の条件として社会的な行動を前提にするのはちっと違和感があるよな。

覚悟を決めることは大人の条件か

じゃあ、いよいよ大人になるってのはどうやって判断できるのか?

多分だけれど、やっぱり「覚悟」だよな。

実に再帰的定義になるけれど「大人になる覚悟」を持った時点で大人になるってことなんじゃないか?

もうちっと噛み砕いて言葉にしてみると、「自分のせいにする覚悟」って感じか?

アルバイトってなると、やっぱり自分の責任ってよりは誰かの指示に従った作業をきっちりやるってことになる。
限定的ではあるけれど自分のせいって部分は出てくると思うんだ。

ただ、その「自分のせい」ってのを自発的に感じているかって言うとちっと違う意味が出てくる気がするんだよね。

じゃあ、仕事をしていないと大人にはなれないのか?って言うとそれもちっと違うと思う。

相手が家族だったり友人だったり仲間だったり。
ありとあらゆるヒトの関係性において「自分のせい」ってのを意識的にすること。

そいつが大人になるってことの条件だと思うんだよね。

その条件に照らすと、20歳になる前に明らかに大人になっているやつもいれば、還暦近辺になっても大人になれていないヒトもいると思う。

それでも、俺の中で「大人」の条件としては一番しっくり来る言葉だと思うんだ。
「自分のせい」にするってのは。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは何を持って大人になれるんだろうか?

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