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三浦建太郎さんの喪失

あんたも三浦建太郎さんの訃報を聞いたかい?

三浦建太郎さんといえばベルセルクって思うヒトが多いと思う。
俺もその一人なんだよね。

ベルセルクって作品は俺の中で唯一無二なものなんだけれども、考えてみれば俺が楽しみにしているマンガってなんであっても唯一無二なんだよな。

そらそうだ。
マンガってコンテンツはそのヒトじゃないと生み出せないもんなんだもんな。

そして、その唯一無二の存在が亡くなられた。

改めて作品を完結してもらうってことは、ものすごい価値を提供することなんだと思ったんだ。

ベルセルクという作品は三浦建太郎さんにとって自己表現であり、その意味では三浦建太郎さんそのものだとも言えると思うんだ。

今回はベルセルクという作品を振り返りながらコンテンツを提供してもらうってことについて考えてみる回だ。

ちょっと重い話かもしれないけれども、付き合ってくれよな。

ダークファンタジーというジャンル

ベルセルクといえばダークファンタジーというジャンルの中で確実にでっかい存在感を放っていたと思う。

同じダークファンタジーとしては鋼の錬金術師を思い浮かべるヒトも多いと思うけれども、重さの種類が違う。

鋼の錬金術師の重さに肩にのしかかる重さとしたら、ベルセルクは腰に来る重さって感じか?

前に進もうとするだけでのしかかってくる重み。
そんな感覚がベルセルクという作品からは伝わってくる。
泥沼の中をもがき進む感覚と言っても良いかもしれない。

そんな重みはベルセルクでしか味わったことがないんだよ。

そんなベルセルクはもう描かれない。
この悲しみはコンテンツ消費者のエゴだって思いもするけれども、偽りのない感情なんだよな。

未完の大作

作者の方が亡くなられたことで未完の大作となった作品はいくつかあるけれども、最近だとバチバチシリーズの佐藤タカヒロさんが思い出されるよな。

以前こんなnoteを書いたことを思い出した。

佐藤タカヒロさんが亡くなられたときはめちゃくちゃショックだったことを思い出す。

特に作品がクライマックス中のクライマックス。
いよいよ最後の戦いが始まるってタイミングだったからなおさらだ。

ベルセルクが未完の大作となった今、同じ様に作者の健康状態を心配する声が上がっている作品がある。

HUNTER×HUNTERだ。

冨樫義博さんの腰の状態が相当よろしくないって話は聞くんだよね。

ご自愛いただきたいところだけれども、HUNTER×HUNTERこそ話の広がり方が尋常じゃないことになっているから、どうやってその風呂敷をたたむことが出来るのか想像すらできない。

それにかかるための時間も尋常じゃないはずだ。

HUNTER×HUNTERはここまで22年かけている。
風呂敷のデカさから考えればたたむのに同じくらいの時間を要してもおかしくない。

冨樫義博さんは1966年生まれの55歳。そこから22年ってなったら77歳。
いや、現役漫画家を続けるってことすら難易度が高い年齢だ。

冷静に考えればHUNTER×HUNTERも未完の大作となるってことは覚悟しておかないとならないってことなんだろう。

コンテンツの決着

話をベルセルクに戻す。

あの物語が未完の大作となったことによって、ガッツとキャスカ、グリフィスの決着がどうなるかは永遠に描かれることがなくなった。

俺たちコンテンツ消費者に出来るのは今までの物語を振り返ってその先を想像するくらいしかできない。

なんて喪失感だ。

こんな喪失感を与えるほどのコンテンツに俺たちはまた出会えるのか。

そこでふと考える。

俺たちは今、すべてのヒトが発信者になる世界で生きている。

つまりは俺たち一人ひとりがいなくなることで周りに与える喪失感はほんの10年前と比べてもとてつもなくでっかくなっているって意味だ。

とは言え、永遠に生きる事ができるヒトなんていない。

俺たちは俺たちの終わり方について考える必要性があるってことなのかもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやれば俺たちの周りの喪失感を癒やす準備が出来るんだろう?

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