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「汚い」という状態を考える

あんたは「汚い大人」って言葉を聞くことがあるかい?

まあオッサンの必修1単位であるガンダムの新作「水星の魔女」を毎週見ているわけだけれどさ。
これに対する感想として「汚い大人」というキーワードが跋扈しているように感じるんだよね。

確かに、自分達の思惑のために子どもたちを利用している様子はある種の嫌悪感みたいなものを引き起こすよな。

とは言えだ。
そもそも何が「汚い」のか?

今回は「汚い」という言葉について考えてみる回だ。

ちっと一緒に自分が感じる汚さってやつについて考えてみようぜ。

なぜ「汚い」のがまずいのか

まあ、「汚い」って言葉がそもそもネガティブワードなのは間違いない。
嫌な言葉ってことだな。

水星の魔女での大人たちに対して、その「汚い」って言葉を当てはめるのは何となくだけれど、子どもよりも大人がその汚さを感じている気がする。

ちなみに小学生の息子は「怖い」と言っていた。

そうなんだよな。
子どもの立場で水星の魔女の状況を眺めると、子どもたちが全く逃げ場が無いような環境に大人たちに追い込まれているような姿に映るんだと思うんだ。

対して大人はそんな風に子どもたちを利用するって手段に対して「汚い」と感じる。

つまり、俺たちオッサンは大人の立場として「そんなやり方で未来のある子どもを利用するなよ」と思うし、子どもの立場からすれば「そんなことを経験ある大人にされたら対応する方法がない」っていう感情が起きるわけだ。

それと同時に大人は状況を何とかしないといけないっていう「責任」を持たされているのに対して、子どもたちは半径5メートルの人間関係を考えるので精一杯だ。

つまり俺たち大人は子どもたちという力をまだ身に付けていない弱者を利用してすでに力を身に付けている大人が自らの「責任」を果たそうとする姿に「汚い」と感じているってわけだ。

弱者を利用するってこと

そこでふと考える。

俺たちも日常的に弱者を利用してないか?

例えばコンビニ。

コンビニでは外国から来てくれているヒトが最低賃金に近い給料で働いてくれているケースも普通にあると思う。

例えば外国人研修生。

外国人研修生には職業選択の自由なんてものが与えられずに最低賃金以下の賃金で働かされるケースもあると聞いたことあるじゃんか。

そして、彼ら彼女らの労働によって俺たちの生活ってのは支えられているって事実がある。

そう考えるとさ。
もしかしたら俺たちは「汚い」大人ってことになるのか?

弱い立場のヒトの弱味につけこんで、さらにその残り少ない力を搾取し続けてこの世のなかを成立させているわけだもん。

「汚い」を別の言葉にしてみる

そう考えてみるとさ。
俺たちは大人とか子どもとか関係なく一定程度「汚い」状態にならざるを得ないんだよな。

まあ「汚い」ってのが「弱者の搾取」って言葉に置き換えたら、他の生物を食べている時点で絶対に避けられないものだもんな。

俺たちは「弱者の搾取」をしている。

これだと、言葉が強すぎて俺たちは日々の生活を罪悪感で埋め尽くすはめになる。
それはいただけないってんで、昔のヒトは実に便利な言葉を作り出したんだろうな。

「業」だ。

俺たちヒトはすべからくこの「業」を背負って生きている。
お前だけじゃない。
その「業」という言葉はそう言う意味を含めている言葉だと思うんだよ。

「業」という言葉の効能

「お前は汚いやつだ」

こう言われたら脊髄反射的に「なにおう!!」ってなるじゃんか。

それが

「俺たちは等しく業を背負っている」

ってなると、ちっと話が違ってくる。

一人で「汚い」を背負ってるんじゃなくて、みんなで「汚い」を背負っているってことになる。

「汚い」を人数で希釈しているって話になるんだよな。

そこに「汚い」はあり続けるって事実はなにも変わっていないけれど、それを背負う仲間がいればその不名誉にも耐えられるってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは自分が抱えている「汚い」とどう向き合っていけば良いんだろうな?

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