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西野亮廣さんへの興味の代わりに得た興味

あんたも色んなコトに興味ってのが湧いているかい?

俺の場合もご多分に漏れず、結構色んなものに興味ってのが湧いている気はする。
それと同時に色んなものに興味が薄れているってのもある。

一時期は株の個別銘柄を探すために過去データをシミュレートするプログラムまで組んで探していたけれども、いまじゃインデックス系の投資しかしていないし、輸入販売みたいなこともやってみたけれども、諸々の状況がよろしくない状況になったこともあって、今はもうやっていない。

そんな中で、今の俺にとって興味が非情に薄れているのが、西野亮廣さんの行動についてだ。

今回は俺自身の西野亮廣さんへの興味がなんで薄れているのかってことを考えてみる回だ。

ちっと自分の振り返りに付き合ってくれよな。

カリスマとしての西野亮廣さん

大前提として、西野亮廣さんご自身についてなにか悪い感情を抱いているわけではないってことをあんたとは共有しておきたいんだ。

西野亮廣さんが仕掛けている様々な事柄に俺は多くの刺激をもらっているし、そのことで自分の行動を改善していく動機にもなっていた。

ところがあることが起きてから、急激に西野亮廣さんの行動に対する興味が薄れ始めたんだ。

そのきっかけは、やっぱり「映画えんとつ町のプペル」だったんだと思うんだ。

ある程度の興行収入という結果を出した作品だとは思う。
実際、繰り返し見たヒトもいたって話はよく聞く。
まあ、この非情に行動が制限された世界ではちょっとした娯楽にこだわるってのも普通にあることだと思うしね。

ただ、これは完璧に俺の主観でしかないんだけれども、ぶっちゃけオモロくなかったんだよ。あの映画。
絵本の「えんとつ町のプペル」は旧態然としていた絵本業界に明らかなくさびを打ち込んだエポックメイキングといえる作品だったと思うんだ。

作品の作り上げ方もセンセーショナルだったけれども、何しろ話がキチンと絵本していたと思うんだ。

その事もあって、エンターティナーとしての西野亮廣さんは、俺の中で揺るがないオモロイヒトだったんだよね。

ところがその西野亮廣さんが「オモロイ」って打ち出してきた「映画えんとつ町のプペル」。
ここで、オモロイヒトとしての西野亮廣さんに対する期待が急激にしぼんでいってしまったんだよね。

今の自分がオモロイと思うヒト

でだ。
そんな状況なんだけれども、相変わらず俺は西野亮廣エンタメ研究所に入らせてもらっている。
西野亮廣さんに興味が薄れてきたのになんでだって?
俺にとって別のオモロイがそこにあるからなんだよね。

なにかって?
俺の感覚では「西野亮廣さんのやることをオモロイって思うヒトは結構オモロイ」ってのがあるんだ。

ちょいちょいメンバーになっているヒトとやり取りさせてもらっているけれども、なんつーんだ?考え方が刺激的なヒトが結構多い。
多分、少額とは言え毎月の費用をかけてでも刺激を取りに来るヒトたちだからってのがあるんじゃないかな。
その意味では他のオンラインサロンに所属するヒトも同じ様にオモロイんじゃないかって思う。

やっぱ、刺激によって自分を変えようとしているヒトって魅力的だもんな。

出来上がったつながり

ぶっちゃけ、やり取りさせてもらっているヒトの中にはfacebookとかで直接やり取りさせてもらっているから、西野亮廣エンタメ研究所に所属し続ける意味ってのはあんまりないかもしれない。

もちろん、オモロイと思ったヒトでもずっと西野亮廣エンタメ研究所に所属し続けるわけじゃないし、やめちゃったヒトとも普通にやり取りを出来ている。

でも、それもfacebookというプラットフォームを経由したつながりにしか出来ていないってのも事実なんだよな。

もっと直接1対1でのやり取りを増やしていきたいとは思うんだけれども、自分が持っている「オモロイ」をうまく伝える自信がまだまだ足りない。
ビビリなんだよな。俺。

それこそ、いつ何時、俺に対する興味が薄れられてしまうのかってビビっちまうわけさ。

西野亮廣さんへの興味が薄れているとか書いといて、どんだけ自分勝手なんだよって話だけどさ。

だからこそ、刺激を得て、その刺激で自分を改善し続けないといけない。
これはある意味恐怖観念ってやつかもしれない。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちがかつては持っていた興味の源泉ってやつを俺たちは見つけることが出来ると思うかい?

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