法律から感情を切り離すってこと
あんたは司法、立法、行政の効率化なんてキーワードを聞くことがあるかい?
なんとはなしにネットを眺めていたらこんな記事があったんだ。
いやはや、効率化ここに極まれりだよな。
条例、つまりは法律をAIのようなヒトが客観的に判断理由を明確に出来ない仕組みで作られたものを採用するって意味。
結構深いものがありそうな気がするじゃんか。
ヒトによっちゃあ「システムがヒトを支配し始めた」なんて言う感想をもつかもしらんもんな。
今回はAIが立法に関わるってことについて考えてみる回だ。
ちっと今と未来に思いをはせてみようぜ。
法律を作るってこと
そもそも新しい法律を作るってのはなんで必要なのか。
それは完璧かつ永遠に機能するルールってのが存在できないという前提に立っているからってのが俺の認識なんだよな。
法律を作り上げた時点では可能な限り多くのヒトを救うことが出来たと判断できた法律でも100年後に通用するとは限らない。
今どきの世の中の変化の速さを考えたら、10年同じ法律ってのも無理が出てくるケースも普通にあると思うしね。
でも、いくら世の中が変化しまくっているからと言って、毎日法律が変わってしまうようでは世の中を運営することが出来なくなっちまう。
かつ、その法律が効率的に運用されうる文章になっているかのチェックも必要だ。
で、苦肉の策として立法のための手続きを決めて、それに沿ってある程度の時間をかけながら法律を変化させていくってのが今のからくりだよな。
法律を作るヒトに求められているもの
じゃあ、ぶっちゃけ俺たち庶民がだ。
法律を作るようなヒトはどんなヒトが良いと感じているのか。
これさ。
実に答えのない問だよな。
だって衆議院議員選挙やら参議院議員選挙みたいな国政選挙であってもだよ。
まず選挙に行かないという選択をするヒトは相当数いるし、行ったとしても投票したヒトがどんな法律をどうやって作ろうとしているのかまで調べて投票するなんてヒトは俺の肌感覚だとほぼいない印象だ。
「このヒト見たことがある」
そんな理由で投票したこと、あんたにもあるだろ?
俺もある。
法律の歪み
そのなんとなくの投票の結果としてもたらされた政治の歪みは世界中で生み出され続けているってのが現状だよな。
もちろん、そんな政治家が作った法律で救われるヒトもいるし、なんなら俺たち全員が様々な公的サービス(警察やら道路やら)を利用しているんだから、作られた法律の恩恵にあやかっていないヒトなんていないってのも現実だと思う。
つまりは俺たちは作られた法律の歪みを認識しながらも、法律なしでは生きていくこともままならないってわけだ。
これさ。
言い方を変えれば、すでにヒトは法律というシステムに隷属しているって捉え方をするヒトもいそうだよな。
法律に感情は必要か
何?そりゃ極論だよって?
まあ、そうだと俺も思う。
でも同時にシステムってものに俺たちが何を求めているのかってことも気になり始めるんだよな。
今までは法律というシステムはヒトの思いや思惑ってのが発生源にあったと思うんだ。
目の前で苦しんでいるヒトを救いたい。
そんな思いだったかもしれないし
何とかしないと、自分の立場が危うい。
そんな個人的な都合から出発していたのかもしれない。
いずれにせよ出発点はヒトだったわけだ。
それが完全にAIのようなヒトの手を離れた何かだったとして、それを今の俺たちは受け入れられるのか?
多分、「そんなん嫌だ」ってのが多数派の意見になると想像出来るじゃん。
なんで嫌なのか。
だってヒトの心が通っていないじゃないか。
そんな言葉が思い浮かぶ。
そこでふと考える。
ヒトの心でヒトを裁いて良いのか?ってね。
それって誰かの感情で誰かを裁くってことだろ?
言いかた変えたらそれって「リンチ」だべ?
大岡越前の人情裁きなんてのを思い出すと美談として描かれているけれども、あれって完全に情治国家だよな。
♯たとえが古い攻撃
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの生活の基盤に置かれるものは何であるべきなんだ?
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