世界が二人ではなくなった日

 こんにちは。草壁です。

 最近、娘が私のスマホを指さし、「お写真見たい!」と言います。よく言います。割と毎日言います。私は娘の写真を見ているといつの間にか時間を無限に奪われてしまうので、正直何もできなくなってしまう懸念がありますが、まあもう娘のお願いならいくらでも叶えますとも。

 赤ん坊の頃の写真を見て、「赤ちゃんかわいー」とか無邪気にはしゃいでいますが、いやそれ自分じゃん……と言ってもいまいちピンと来ていない感じですね。2歳にして既に、「自分は赤ちゃんなる存在とは既に分化したものであり、別物である」みたいな意識が生まれているようです。短期の記憶しか持たない2歳では、確かに記憶がつながらない時代のことなんて、他人の回想と変わりはないのでしょう。

 そうして振り返ってみると、娘が生まれた日というのはずいぶん昔のように思えます。たった2年。だけども2年。大変だった、という記憶ばかりが山積みになっていて、何がどう大変だったかは結構抜け落ちていることに気づきました。

 妻は大変堅実な人で、出産前からいつ何時陣痛が始まっても“私”が大丈夫なように色々と備えてくれていました。入院バッグとか、もしもの連絡先とか、そういった転ばぬ先の杖は、恥ずかしながら妻が事前にやっておいてくれたものでした。そういう意味では、当時は父未満どころか夫未満だったのかもしれません。反省。

 そしてやってきたその日。
 妻、破水。
 娘は空気を読んでくれたのか、ちゃんと夫婦二人がそろっていて、しかも夕食後の割とリラックスを始めたタイミングで、「出るよー勘違いじゃないよーちゃんと準備してよー」とばかりに知らせてくれました。

 「いや、ただの尿漏れかと思ったわ最初」とは妻の弁。でも逆に破水してくれたことで、一気に気持ちが切り替わった感はあります。病院に送って行く途中で陣痛が始まり、着いたらああこれは破水ですねー。遅くても明日までには分娩ですからーと説明を受けました。

その時は「まだまだ間隔長いんで、旦那さんは一旦帰宅して、仮眠とったりしてください。長丁場ですからね!」と追い出されたのですけど。帰宅して10分くらいで病院から電話。
「もうすぐ生まれちゃうので来てください」――え。どういうことなの。

 とんぼ返りした病院で陣痛に耐える妻の姿を見て、いよいよ実感が湧いてくるわけです。とにかく無事に、何事もなく……と祈る時間もなく、助産師さんに「この機械のこの数字がこのくらいになったら奥さんのまたぐらをグッと支えてグッと」と指示を受けてあたふたしながら対応していました。役に立ってんのか立ってないのか半信半疑のまま続けていると、それじゃあ分娩室へ、ということでいったん妻とは離れ離れに。立会不可の病院だったので、待機室で待つことに。

 さて、少しくらい体を休めるかとシートに身を預けるや否や、「生まれました!」マジかよ怒涛すぎんよ……
 時間にしてトータル1時間40分ほど。早すぎる軽快な出産。5時間だの10時間だのと散々聞いていたのがまるで嘘のようでした。
 2人目があったらもっと早くなりますよ、と言われたのが印象的でした。

 それから入院生活、妻の実家での生活、新居への移動などいろいろと経て、今に至っています。娘は暢気に産後直後の妻の写真を見て、「おかあさん疲れてるね!」と嬉しそうに指摘しています。そりゃそうだ君を産んだんだから。

 また時間がたてば、今のこの時間も「そんなことあったなあ」と記憶の泥を掘り起こす作業になるのでしょう。それもまた、一つの楽しみです。

 ちなみに娘にお母さんのお腹から出てきたときのことを覚えているか聞いたところ、

 「どーんって、でたよ」

 とのことでした。ホントかよ!

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