泣く子と地頭

「泣く子と地頭には勝てぬ」最近はあまり目にしないフレーズですね。道理の通じない赤ん坊(泣く子)や権力者(地頭)にはどうやっても勝てないから争っても無駄。従うしかないという意味で、「お上(権力)に弱い日本人の一面」を表していましたが、それも多少変化してきたので使われなくなってきたのでしょうか?

代わりに?最近よく目にするようになった言葉が「地頭(じあたま)」です。英語ではクリエイティブ・シンキング(creative thinking)「創造的思考」や、ロー・インテリジェンス(raw intelligence)「生(ナマ)の知性」にあたるようで、知識量だけでなく、思考力・問題解決能力に優れていることを指すようです。

企業の採用活動では、「地頭の良い人材」の獲得にしのぎを削っています。「地頭力」には「思考力・問題解決能力」に加えもうひとつ「素早さ」という要素が重視されるようです。

「抽象化してぱぱっと推論を導き出す。そしてそれがあながち的外れでない」ということが重宝されるのでしょう。

今では「あの人は地頭が良い」というのは最高級の褒め言葉のひとつのようです。しかし「頭の回転が速い」ことと「真理を導き出す力」は本当に深い関連性があるのでしょうか?

泣いている子どもが象徴する「幼稚さ」、中でも自己中心的な価値観が、この「地頭力尊重」の傾向に感じられます。一見説得力があるような「問題解決策」が、実は根本的な解決とは反対方向に外れていく危うさへの構えと備えが、ここでは軽視されていると思うからです。

そのうち「地頭が良い」も、「世渡り上手」や「器用貧乏」程度の評価に落ち着くような気がします。

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