101年目のプレイボール

100年の節目を迎えた高校野球が大詰めに近づいてきました。いろいろな意見もありますが、やはり我々に「夏の原風景」を提供してくれていることは間違いありません。

物心つくとまず、男の子は「僕も甲子園に出たい!」と思います。以前に比べその比率は減っているかもしれませんが、小学生の野球やソフトボールは間違いなく「ぼくたちの(疑似)甲子園」でしょう。

中学生になるとその現実はぐっと近いものになります。また女子生徒にも「高校野球のマネージャーになりたい」とか、ひょっとすると「女子初の甲子園球児を目指す!」とかの夢を持つ人が現れます。

高校時代は、同世代の活躍がまばゆく見えます。

ところが高校を卒業すると不思議な感覚に襲われます。あの大舞台でプレイしているのはすべて年下なのです。何万分の一でも「甲子園に出場する、同級生をアルプスで応援する」という可能性は失われてしまったのです。

20代では、いったん関心が薄れていく時期が訪れます。程度の差はあれ、世の中にはもっと興味をひく事柄が出てきます。

結婚。出産。男の子が生まれると、そしてその子がキャッチボールをできるようになると、今度は我が子と球児たちを重ねてみたくなります。父親だけでなく母親も。

さらに子が成長し、孫が生まれ・・・。純白の一球を見つめつつ、人生の各ステージでそこに見えるもの、積み重なっているものが違ってきます。そしてそのすべてを受け止めてくれるのが甲子園なのかもしれません。

暑さが峠を越すこの時期、たった一校の頂点が決まり、そして折り重なって101年目のゲームが始まっていくのです。幾人かの18歳の青年が、今宵、夜風に聞こえる虫の音に少し感傷的になるかもしれません。

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