愛の鞭は鞭
最近、友人がこんなことを言っていました。
「上司に出来ていないところを指摘されてばかりで、すごく落ち込むの」って。
「愛のムチだってことはわかるんだけどね・・・」とも。
それを聞いて私は思いました。
「愛のムチは、いくら愛があってもムチだもん。痛いよねー。」
同時に、子どもの頃の記憶がよみがえってきました。布団叩きでお尻を叩かれたり、髪を掴まれたりして激しく怒られていたなぁと。
でも待って!
怒られたり叩かれたことはすごく鮮明に思い出せるけど、何が原因で怒られたかは思い出せない!
小さい頃から母は私にとても厳しくて、
甘えさせてもらった記憶があまりありません。
たくさんあるのは…怒られた記憶。可愛げがない、心がねじ曲がってると罵られた記憶。甘えられなくて寂しかった記憶。
実は私は、生まれつき右手がありません。
母は、私の手がこんなだから、
一人で生きていけるように
わざと厳しく育ててるんだとよく言っていました。
母は母なりに悩み苦しんでいたのでしょう。
罪悪感を感じていたのかもしれませんね。
でもそんなふうに思えるようになったのは、
ごくごく最近のことだし。
怒られた悲しみや叩かれた痛みは
今でもずっと消えずに残ってて、
なんで怒られたかは消えちゃった。
しつけや指導に鞭は必要なのでしょうか。
叩かれた痛みしか残らないのに。
鞭を使わずに伝えるほうが
ずっとずっとお互いのためにいいんじゃないのかな?
子育てに限らず、大人同士の関わりでも
同じではないでしょうか。
足りないところ、出来ないことばかりに
注目して指摘していたら、
良好な関係は築けないし、
部下のやる気やエンゲージメントを
高めることもできません。
上司が部下の強みをみていると
ワークエンゲージメントが高まる
というデータがちゃんとあるんです。
これも私が学んできたことのエッセンス。
私の夢である
「子どもたちの未来のための、大人の安心基地」で大切にお伝えしていきたいことの一つです。
厳格な母に怒られ罵られ続けて育った私は、
認められたくて努力し続けるけど
失敗が怖くて
完璧じゃないと先に進めなくて
自己肯定感が低くて
自己効力感を感じられない日々を過ごしてきました。
もしかしたら母は祖母から、祖母は曾祖母から、
同じように厳しく育てられてきたのかもしれません。
その負の連鎖は私の代で断ち切りたい。
愛の鞭を振りかざして叱ったり、
足りないところにばかり目を向けるのではなく、
あるもの、できること、強みに着目する。
そんな子育て、チームビルディングを目指しています。