その悲しみに寄り添えない自分が歯痒い
親しい友人が深く悲しむ出来事があった。
それは誰にでも起こりうることで、実際に経験していなくても想像はできること。
だけど、想像はできても共感は出来ないのだと、思い知った。
その悲しみの種類はわかるけど、彼女の心の内がわかるわけじゃないから、容易く「分かるよ」なんて慰めの言葉をかけられない。
明るく振る舞って良いのだろうか、彼女の気持ちがもっと沈むようなことにならないだろうか、と身の振り方に思いを巡らせながら、こんなにもいざという時力になれないのかと自分の無力感に苛まれる。
その人の痛みはその人のものだってわかっちゃいるけど、大事な人が辛い時に寄り添えないのはどうしようもなく悔しい。
こういう時、赤い公園のKOIKIという曲を思い出す。
あなたが泣いている時に笑えるジョークのひとつ言えるくらい小粋でいたいな。
って曲なんだけど、本当にその通りで。
別にジョークじゃなくてもいいから、そっと肩に手を添えるようなことができる人間でありたい。
どんなに仲が良くても、ましてや家族であっても、お互い全く別の人間である以上痛みを本当に理解して慰めるなんてできないのだから。
だったらせめて、いつでも寄りかかれる存在がいるよと、ただそこにいてあげたいと思う。
弱音も吐かず、暗い空気にしないよう気遣いまでしてしまう優しい友人が、少しずつでも気持ちの整理ができますように。
そして自分の人生を悔いなく歩めますように。
こんなこと祈るのも野暮かもしれないが。そこはエゴで願わせて欲しい。
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