見出し画像

国家社会主義者による「反帝反ヒト」

「反帝反ヒト」とはつまり、「反帝国主義・反ヒトラー主義」という意味である。

これは新左翼の「反帝反スタ」(反帝国主義・反スターリン主義)を国家社会主義者として再現するものだ。

新左翼の理論家、黒田寛一は「真のマルクス・レーニン主義」の立場から、スターリンを「マルクス主義を歪曲した裏切者」として断じ、ソ連・中国・北韓といった既存の社会主義体制をアメリカと同列に打倒すべき敵とした。

画像1

ちなみに、この「反帝反スタ」の発想は右翼にも影響を与え、「反共」を優先するあまりアメリカや自民党に対する批判がおろそかになった既存右翼から脱却して「反共反米」を主張する新右翼が登場することになる。

画像2

それでは国家社会主義者たる私は「反帝国主義・反ヒトラー主義」を主張したいと思う。

※私はドイツの国家社会主義と日本の国家社会主義(北一輝、大川周明)の両方から影響を受けています。

画像3

何故に「反ヒトラー主義」が必要なのかと言えば、ユダヤ人やロマ族、障碍者の差別や強硬外交といった失敗を経て最終的に敗戦した「国家社会主義ドイツ労働者党」の過ちを批判しなければ国家社会主義の復権は有り得ないからである。

ヒトラーとスターリンは似た者同士とも言われるが、権力背景も似ている。

スターリンはレーニンの後継者(レーニン本人は「スターリンは駄目だ」と言っていた)として共産党の実権を握ったが、ヒトラーは労働者党創設者のアントン・ドレクスラーから実権を奪って指導者(フューラー)になっている。

国家社会主義ドイツ労働者党(旧名はドイツ労働者党)には1920年2月にドレクスラーとヒトラーらが中心になって制定した「25ヶ条綱領」というものがあった。

『 1.大ドイツ国家における全てのドイツ人の結集。

2.ヴェルサイユ条約の廃棄と他の諸国と取引するドイツの権利の確認。

3.食糧供給とドイツ人の過剰人口移住のための追加的領土要求(生存圏 Lebensraum の確保)

4.国家市民は人種によって決定される。ユダヤ人は何人といえどもドイツ人たりえない。

5.ドイツ国内の非ドイツ人は「単に」客であるに過ぎず、適用法規に従わねばならない。

6.公共機関の地位は政治的な同族登用ではなく、人格と資質によってのみ与えられなければならない。

7.国民の暮らしを確保することは国家の第一義的な義務でなければならない。国家の食糧供給でまかない切れない場合は非国家市民は国家の恩恵から除かれねばならない。

8.非ドイツ人のドイツへの移住は中止されねばならない。

9.全ての国家市民に対する平等の権利と義務

10.国民の各人は全体の利益のために働かねばならない。

11.労働によらない全収入(不労所得)は没収されねばならない。

12.全ての戦時利得は没収されねばならない。

13.全ての大企業集団は国有化されねばならない。

14.全ての大企業の利益の分配

15.老齢者に対する十分な用意

16.零細商人は強化されなければならない。大百貨店は彼らに譲渡されねばならない。

17.土地所有の改革と投機の廃止


18.重罪人の仮借なき告発と不当利得者の死刑執行

19.唯物主義的なゲルマン法はローマ法に取って代わらねばならない

20.国民教育制度の全般的な再建

21.国家は母性を援護し、青少年の発育を進めなければならない

22.傭兵の廃止、国民軍の再編成

23.新聞はドイツ人の所有でなければならない。従って、非ドイツ人はそこで働くことを禁止される

24.ドイツ民族を危機に陥れる宗教以外なら信仰の自由を認める。それ故、党はどんな宗派にも門戸を開く。しかし、ユダヤ教的唯物主義とは闘争しなければならない。

25.法律を有効に施行するための強力な中央政府の樹立』

ユダヤ人に対して攻撃的なことを除けば、愛国主義と社会主義を結びつけた良い綱領であると思うが、この綱領はやがてヒトラーが実権を握ると棚上げされ、ヒトラーに対する「指導者原理」、つまりヒトラーの言葉こそが全てでありヒトラーへの絶対服従が優先されるようになり綱領は有名無実化する。

一方で、綱領を重んじてより社会主義的な政策を志向するグレゴールとオットーのシュトラッサー兄弟を中心とする「ナチス左派」という人達がいた。

画像5

グレゴール・シュトラッサー

画像6

オットー・シュトラッサー

彼らはミュンヘンのナチス本部の反ユダヤ主義一辺倒に代わって、共和制の主張、職業身分制秩序、反西欧資本主義からする親ソ外交路線などと共に、社会主義を全面に押し出した。

彼らが何よりもミュンヘン・ナチに抱いた疑念は、その経済政策実行の真面目さと熱意だった。社会主義者をもって自認する彼らには、これは黙視できなかった。 

グレゴール・シュトラッサーは以下のように訴えた。

「我々は社会主義者であり、経済的弱者の搾取や不当な賃金支払いや責任と業績によらずに財産と金による非道徳的な人間を評価する今日の資本主義体制の敵であり宿敵なるが故に、我々はこの体制を是が非でも絶滅する決心を固めるに至った!我々は、非の打ち所がなく、しかも現体制よりも優れた働き手を有する、より良き、より正当で、より道徳的な体制を代置させなければならない!」

しかし、スターリンに反発したトロツキーが粛清されたように、ナチス左派のグレゴール・シュトラッサーとエルンスト・レームは「長いナイフの夜」事件で粛清される。

オットー・シュトラッサーは「黒色戦線」という団体を結成してナチスに対抗していたが、ヒトラー内閣が成立するとドイツを脱出した。

画像4

ドイツにとどまっていたグレゴールは殺され、生き残ったオットーは海外から反ナチスの宣伝や心情の近いナチス党員や国防軍軍人に影響を及ぼして国家社会主義者の立場から政権に対する抵抗運動を行っていたのである。

また、オットー・シュトラッサーらナチス左派と交流し幾度もヒトラー暗殺を計画したヘルマン・エアハルト率いる反ヒトラー派の極右「コンスル」(旧「エアハルト海兵旅団」)は「真の第三帝国」の立場からナチスを西欧デモクラシーの手先でありドイツ民族の敵と批判した。また、「民族ボルシェヴィズム」的路線から、反アングロ・サクソン帝国主義とアジア・アフリカの民族独立・解放運動への連帯を主張するなど日本の民族派右翼に似てる面もあった。

このようなナチス左派やコンスルの思想こそ「反帝国主義・反ヒトラー主義」の論拠である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?