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日本共産党及び創価学会への糾弾文

去る十二月四日、新民族主義青年同盟として統一戦線義勇軍主催の『大東亜戦争の意義を継承せよ!関西反米集会』デモ・街宣に参加。

反米デモ

デモ参加に先立ち、真田山陸軍墓地を参拝し英霊を追悼。

真田山陸軍墓地

その後、近隣の日本共産党大阪府委員会に対して糾弾声明文を投函した。

声明文

 来る十二月八日は、国史、世界史に燦然と輝く大業である自存自衛とアジア植民地解放の一大聖戦、大東亜戦争開戦の大詔が渙発された大詔奉戴日である。
 この日を迎えるにあたり、日本共産党に廓清の叫びを檄す。

 大正十一年、七月十五日、堺利彦、山川均、近藤栄蔵、高瀬清、野坂参三、徳田球一、佐野学、鍋山貞親、赤松克麿らマルクス主義を奉ずる人士によって日本共産党は建党され、同年十一月コミンテルンに加盟するに至った。
 その後、ソ連の指導のもと日本共産党は我が国体を西洋の絶対君主制と同一の「天皇制」と見なし、大逆を企ててきた。
 現在、日本共産党は皇室条項を含めた日本国憲法を堅持すると主張しているが、「天皇の地位は国民の総意によって決する。」と将来的に皇室廃絶を意図していることは明らかである。
 改めて、我が日本の国体は、神道の祭祀者としての明御神(アキツカミ)・国家の統治者としての天皇=皇尊(スメラミコト)たる天皇が「しろしめす」王道であり、武力による覇道の歴史が繰り返された西洋や中国の絶対君主制とは異なることを教授しておく。

 その建党においては、ソ連の影響下に築かれた日本共産党であるが、戦後の「山村工作隊」「中核自衛隊」「トラック部隊」といった暴力革命路線が失敗に終わった後は、ソ連共産党、中国共産党、朝鮮労働党と決別して対立関係に至った。
 また、日本共産党が「国政政党」としては唯一、千島樺太交換条約に基づきロシアに対して千島列島の領有権を主張し、韓国による竹島問題、中国による尖閣諸島問題、北朝鮮による拉致問題、あるいはウクライナや香港に対して支持を行い、徹底した反米・反基地を主張していること自体、我々は必ずしも否定するものではない。
 しかし、天皇を絶対君主と見なして国体を否定する思想と、戦勝国史観に立脚して、大東亜戦争をはじめとする明治維新以来の近代日本の歴史を否定して、米国によって作られた日本国憲法を押し戴く限り、如何に自己肯定しようとも、コミンテルンによって建党され、米国によって解放されて、彼らを「解放軍」と仰いだ、白禍の私生児としての出自は変わることはない。

 我々は単なる反共右翼に非ず、社会主義そのものを否定しない。
 資本主義、新自由主義、グローバリズムの渦流が世界を襲う中にありては、社会主義は突破口となり得るものである。
 しかし、それは決して国家、民族の否定である共産主義=マルクス・レーニン主義であってはならない。
 民族意識と国体に立脚した民族主義に基づく社会主義、国家社会主義でなければならないのである。
 現在の日本共産党からは裏切者であろう赤松克麿先生、西光万吉先生、田中清玄先生といった我々民族派の先達は、日本における維新革命は国体、即ち天皇を奉戴する錦旗革命でなければならないと気付いた偉大な転向者である。
 我々は、日本共産党が古ぼけた思想とその名前、共産主義=マルクス・レーニン主義を放棄し、国体思想に回帰した国家社会主義を採用して共産党の名を捨て去ることを期待する。

皇紀二千六百八十二年 十二月四日 

新民族主義青年同盟

日本共産党委員長 志位和夫殿


翌日、創価学会=聖教新聞社に対して糾弾声明文を投函。




声明文 

 来る十二月八日は、国史、世界史に燦然と輝く大業である自存自衛とアジア植民地解放の一大聖戦、大東亜戦争開戦の大詔が渙発された大詔奉戴日である。
 この日を迎えるにあたり、創価学会及び聖教新聞社を大喝する。

 そもそも、創価学会第二代会長である戸田城聖は法華経に基づく「聖戦完遂」を主張していた。

 創価学会の聖典に等しい小説「人間革命」は平和主義を訴えるものであると喧伝しているが、昭和三十ニ年に戸田城聖が著した原著は現在のものとは大きく異なる。

 以下に引用する。

『日支事変もそうだったが、大東亜戦争でも、日本の国内はバラバラになっている。その根源は、どこにあるかといえば、宗教界にある。宗教界が混乱に混乱を重ねていては、人に真の和がなく、真の和がなくては、いくら総力戦を叫んでも力は涌いてこない。牧田先生が国家諌暁を思い立たれた理由も、そこにある!諸君、恩師牧田先生の悲願をわれわれのものとして、日蓮正宗の信心に対する半信半疑を捨てて、宗教の力でこそ、この戦争に打ち勝てる。国も救い、民衆も救える・・・という大信念をもって、一大折伏戦に入ろうではないか! 

日本の癌になる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!勿論、巌の全財産は、この運動に提供する!』

 このように創価学会の立場から聖戦への挺身を主張しているが、池田大作が著した「新・人間革命」では大きく改変されている。

『日華事変もそうだったが、大東亜戦争でも、日本の国内はバラバラになっている。その根源は、どこにあるかといえば、宗教界にある。宗教界が混乱に混乱を重ねていては、人に真の和がなく、真の和がなくては、いくら総力戦を叫んでも力は涌いてこない。牧口先生が国家諌暁を思い立たれた理由も、そこにある!諸君、恩師牧口先生の悲願をわれわれのものとして、日蓮正宗の信心に対する半信半疑を捨てて、宗教の力でこそ、国も救い、民衆も救える・・・という大信念をもって、一大折伏戦に入ろうではないか。』

 これは、戸田城聖の当初の志に反するものである。

 その戸田城聖や初代会長の牧口常三郎にしても、伊勢神宮の神札を祀ることを拒否して不敬罪に問われ投獄されたが、彼等の主張は天皇が法華経に帰依し、日蓮正宗が国教となれば戦争に勝てるという日蓮主義的な国粋主義が背景にあったのである。

 そのことは大東亜戦争終戦後、戸田城聖が著した「人間革命」の原著に、先に引用した支那事変への挺身や大東亜戦争開戦時のハワイ沖海戦(真珠湾攻撃)を指して『溜飲を下げた』『緒戦の華々しい戦果』『日本人なら一応、誰でも胸がスーッ!となるさ』といった記述からも明らかである。

 しかし、創価学会が自らを「反戦平和」団体として宣伝するに至ると、これらの記述は都合が悪くなり戸田城聖や池田大作は捏造した新版を出版したのである。

 この戸田の変節や、自らを「民衆の王者」と名乗り中国や韓国に媚び諂う池田大作の所業は日本民族に対する恥ずべき裏切り行為である。

 日蓮宗と日蓮正宗では、本仏を釈尊とするのか日蓮とするのかなど、大きな考え方の違いがあるが、共に法華経の徒であり、立正安国論に基づく国粋主義が本来の特徴であった。

 日蓮宗には、神武天皇建国の大詔から「八紘一宇」を造語した田中智學先生、満洲事変の石原莞爾中将、血盟団事件の井上日召先生といった、我々民族派の先達もいるのである。

 創価学会は今からでも遅くはないから池田大作が捻じ曲げた本来の日蓮大聖人の教えに回帰せよ。

 考え方は違えどチベットの民は同じ仏教徒ではないのか。中国共産党による迫害、虐殺を何故見ぬふりを出来るのか、そのような姿勢にこそまさに「仏罰」が下るであろう。

 変節したとはいえ、戸田城聖が当初に掲げた支那事変、大東亜戦争への挺身、聖戦完遂、アジアの解放こそ本義である。

 大東亜戦争開戦の記念すべき大詔奉戴日を前にして、創価学会員に檄するものである。

皇紀二千六百八十二年 十二月四日

新民族主義青年同盟

創価学会会長、聖教新聞社社長 原田稔殿

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覚醒を呼びかける


賢明な方は、この二通の声明文に共通するのは単なる抗議や糾弾ではなく、良心に訴え、意識変革、日本人としての覚醒を呼びかける檄であることを感じて頂けることであろう。

これは、私自身、皇道主義の真髄とは敵をも救済することにあると信ずるからである。

影山正治先生は次のように説いている。

單なる「反共」ぢや駄目だ。共產黨や共產國までをも救つてやる「天地の公道」「古今の大道」に立ち、これを内外に明らかにすることだ。それが「神ながらの道」であり、「皇(すめら)の道」であるのだ。

https://twitter.com/gudogoroku/status/1601108180540755968?t=Ha0O-H6fDeFTKU9zaToAzg&s=19

私は基本的にどの相手に対してもこの姿勢で臨む。
アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮、韓国だろうと、自民党や共産党、創価学会、統一教会だろうと正道に糾して救済し、共栄したいと願っている。

しかし、いくら言葉を交わしても通じ合えない相手は斬らざるを得なくなるだろう。
だが、我々は憎しみをもって人を斬るのではなく、涙を呑んで人を斬らねばならない。

維新者はその本質に於いて何よりも絶対なる国体信仰に徹する国粋主義者でなくてはならない。
いかに維新を論じようとも、不動の国体信仰者にして且つ尊王攘夷精神の把握者でなくてはならない。
そして維新者として自己維新を心掛け、一歩でも二歩でも人格を向上させることが大切であることは申すまでもない。

国体は絶対に手段化してはならず、日本古来の伝統文化の上に立って考えられた広い範囲の攘夷精神を堅持すべきである。
維新とは、単なる組織機構の変革にあらずして国体復帰である。
失われている日本民族精神への復帰であり、攘夷の精神の復興であり、この上に立脚した世界観の変革である。

維新者たる者は相対的な理論の世界を越えなくてはならぬ。
もとより理論は大切であって、細密整然たる日本主義の理論を持つばかりか、不抜不動にして、純一無雑なる国粋主義精神の把持者でなくてはならない。
維新大道の見地からすれば、必ずしも国粋主義学者理論家のすべてが維新者ではない。
維新者とは論ずる者にあらずして、信ずる者である。
維新者は涙と詩を持つ者の謂いである。
涙をもたぬ者、心冷たく、詩をもたない者は浅い。
すなわち無味感想の士であってはならない。

明治維新史上に於いて、最も涙と詩に富んでいた者は西郷南洲と吉田松陰であったと言える。
詩と涙に最も欠けていた者は大久保利通、岩倉具視であって、彼等は革命家の道につながる。
革命家は憎しみを持って人を斬り、維新者は涙を持って人を斬る。

維新者は剣の精神の把握者でなくてはならない。
使命の実現、維新の完成には必ず剣が伴う。
明治維新は、薩摩、長州、水戸、土佐その他諸藩の勤皇の志士が徳川幕府を大剣をあげて討伐、平定して実現したのである。

小西運先生 「維新者の信条」





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