見出し画像

「いしものがたり」第23話

 ***

 思いがけないシュイとの邂逅から、話は数時間ほど遡る。
 城の朝は早い。まだ夜が明け切らないうちから台所に火が灯され、料理が作られる。主人たちがまだベッドの中で心地のよい眠りについているうちに、城で働く者たちの一日はすでにはじまっている。
 あの日、りんご売りの子どもの最期を看取ってからヒースが再び目を覚ましたとき、アルドの姿はどこにもなかった。
 ――あり……がと……。
 死ぬ間際、うれしそうに笑った子どもの顔を思い出すたび、ヒースの胸は冷たい石の塊を呑み込んだみたいに苦しくなる。自分はあの子に礼を言われるようなことは何もしていない。それどころか自分がよけいな真似をしなければ、あの子はまだ生きていたかもしれないという思いが消えなかった。
 自分の中にある迷いを振り切るようにヒースは冷たい水で顔を洗うと、服を身につけ、中庭へ出た。朝の澄んだ空気に身が引きしまる。動いているうちに血流がよくなり、次第に身体が温まってくる。
「毎朝よく続くな」
 どこかのんびりした声が聞こえ、振り返るとオースティンが立っていた。自分が稽古をつけてもいいと言ったオースティンの言葉に嘘はなく、あれから何度も手合わせをしている。オースティンに稽古をつけてもらうようになって、ヒースはこれまで気づかなかった自分の強みや弱点が見えるようになった。自分は身が軽くスピード面ではオースティンに勝るが、攻撃力と持久力が劣るため、戦いが長引くほど不利に働いてくる。
 静かな早朝の庭に、剣が行き交う音が響く。オースティンと剣を合わせていると、一瞬だがいままでのことを忘れ、ヒースに村にいたときのことを思い出させる。それはヒースにとってひどく危険なことでもあった。
 村が襲われ、九死に一生を得たヒースは、何があってもシュイを助けようと決めた。シュイを救い出すまでは誰のことも信じないと。それなのに、見ず知らずの自分の命を救ってくれたユーゴや、りんご売りの少年、マリーやサリム、そしてオースティンなどの出会いがそんなヒースの決心をぐらつかせる。もう一度人を信じてみたいと願ってしまう。
「まだだ、脇が甘い」
 攻撃を仕掛けたところをオースティンに封じ込められ、ヒースは舌打ちした。ナイフを構え直し、再びオースティンに向かっていく。シュイの部屋に忍び込んで数日、ヒースは自分の中に募る焦燥を抑えられなかった。
 ――ヒースと一緒にはいけない。おれのことは忘れてほしい。
 ――ヒース……っ! 逃げて……っ!
 シュイと一緒にいたフレデリックの姿を思い出すたびに、このままではだめだという焦りがヒースを追い詰める。
 ――近いうちこの国で大きな出来事が起こるよ。メトゥス王は強欲だ。役立たずの石をそのまま放ってはおかない。
 前回会ったとき、アルドはヒースに時間はもうあまりないと告げた。アルドはなぜそんなことを知っていたのだろう。そもそもアルドとは何者なのか。オースティンとの稽古に集中しなければと思うのに、さまざまな思いが入り混じり、注意が散漫になってしまう。
「あ……っ」
 持っていたナイフが弾け飛ばされ、顔のすぐ前にオースティンの剣の先が突きつけられた。
「どうした、きょうは集中できていないな。このままじゃけがをする。いったん休憩しよう」
 剣をしまうオースティンに、自分でも集中できていない自覚のあったヒースは無言で汗を拭った。そんなヒースのようすを、オースティンがじっと眺めている。
「残念だがお前と手合わせをするのもこれが最後だ。前に話していただろう、きょうの午後、王都を離れることになった」
「国に帰るのか」
「ああ。俺の用は終わった。いくら王位継承には関係ない放蕩息子だとしても、ずっとふらふらしているわけにはいかないからな」
 オースティンが隣国の王子であることを、ヒースは周囲から、そして本人からも聞いていた。ただし兄弟が多く、彼の母親の元々の身分があまり高くはないため、王位継承とはほとんど関係ないということも。半月ほど前まではまったく知らないただの他人だったのに、オースティンがこの国を離れると知ると、そこはかとない寂しさがわき上がってくる。
「そうか。戻れる場所があるのはいいことだ」
「誰にも期待されていない王子だがな」
 ひっそりと笑うオースティンに、ヒースはそんなことないだろう、ときっぱり答えた。
「きっとお前の帰りを待っているはずだ」
 自分には戻れる場所も、待っている人も誰もいない。
「だけどそうか……。寂しくなるな」
 ヒースが呟くと、オースティンは一瞬だけ虚をつかれたような顔をした後、大きな手でがしがしっとヒースの髪をかきまわした。
「何だ、何をする」
 嫌がるヒースに、オースティンは破顔した。
「お前は普段無愛想なくせに、ときどき子どもみたいに素直なところがあるな」
「やめろ」
 子ども扱いをされて、ヒースは釈然としない気持ちになりながらもオースティンにされるがままになる。
「だけどあのとき……」
「あのとき?」
 何かを考えるようなそぶりを見せたオースティンはヒースの視線に気がつくと、すぐに思い直したように「いや、何でもない」と頭を振った。オースティンが何を言おうとしていたのかわからずヒースが問いかけようとしたとき、ピューイ、と鷹の鳴き声が聞こえた。アズールが舞い降り、ヒースはいつものように用意しておいた干し肉を与えてやる。そのとき、ヒースはオースティンが何かを迷うような表情を浮かべていることに気がついた。
「……お前に言おうかどうか迷っていたことがある」
「何だ?」
 真剣な眼差しに、ヒースはどきりとした。腕に止まるアズールを無意識に撫でる。オースティンはしばらくじっと考え込んでいたが、やがて決意を固めたようにまっすぐにヒースを見た。
「前に話した伝承を覚えているか? あの話には続きがある」
「続き?」
「ああ。石がいる国は未来永劫栄えると言われているが、考えてみたらおかしくはないか? そんな存在が本当にいるとしたら、どの国も放っておくはずがない。どこだって欲しいに決まっているからな。だが争いもなく黙認している。それはなぜだと思う?」
「なぜって……」
 思いがけない問いかけに、ヒースは戸惑いつつもオースティンの言葉を考える。言われてみればその通りだ。現にヒースの村は何の躊躇もなく滅ぼされた。いるだけでその国が未来永劫栄える――、そんな者がもし本当に存在したら、この国だけでなく他国も欲しがらないはずがない。なぜ黙認している? なぜ争いにならないんだ? それには何か理由があるはずだ。
「石がいる国は守られなければならない。だがそれは永遠にじゃない。いにしえより国同士で交わされた密約があるんだ」
「密約?」
「そうだ。石がいるだけで未来永劫その国が栄えるという伝承が本当なら、すぐに戦が起こってしまう。だからときの為政者は国同士で密約を交わしたんだ。もしある国に石が現れたとき、石の存在の象徴である貴石が生み出される限りは、いかなる場合でもその国に手を出してはいけないと。そしてアウル王都にはある噂がある」
「噂……?」
 胸騒ぎがした。この先を聞くことは、ヒースにとってとてもよくない話だという予感が。
「ああ。アウラ王都の石は、もう長いこと貴石を生んでいないとな」
 オースティンの言葉に、ヒースは自分でもはっきり顔色が変わるのがわかった。平静を保たなければいけないのに、ぶるぶると身体が震えてしまう。
 だめだ、このままではオースティンに気づかれてしまう……!
「……もし、その話が事実ならどうなる?」
 こぶしを握りしめ、息を整えながら必死に平静を保つヒースを、オースティンがじっと見ている。
「他の国も石の獲得に乗り出すだろうな。つまりは戦争になる。いまごろ周辺諸国ではアウラ王都へ進行する準備を整えているはずだ」
 シュイ……!
 ざっと血の気が引いた。村にいたころのあどけないシュイの姿が目に浮かぶ。それから石としての役割を果たそうとしている、現在のシュイの姿を。どちらもヒースにとってはかけがえのない、大事な幼なじみに違いはなかった。
 ヒースは全身びっしょりと冷や汗をかきながら、きつく瞼を閉じる。だが、身体の震えを止めることができない。そのとき、ヒースはある可能性に気がついた。
「もしかして武芸大会はそのためにあるのか? 他国に石さまの存在を知らしめるため?」
「そうだ。俺は王である父から密命を受けてこの大会に参加した。国に戻ったら今回の旅の報告をしなければならない。もちろん俺だけじゃない、他国からの出場者は大方それが目的だろうな。アウラ王都の石がまだその役割を果たしているか確かめるためだ。当然、アウラ王都もそれはわかっている」
 ひょっとしたらと思ったことをあっさり肯定されて、ヒースはじっと考え込む。オースティンの話はすべて辻褄があっている。何より自分なんかを騙してもオースティンに得などない。だがわからない。オースティンの言葉が本当ならどうなる? 彼はなぜそんな大事なことを自分に話した?
 ヒースはオースティンを疑いたくはなかった。これまで交わしたやり取りの一つ一つは、故郷をなくして人を容易に信じることのできなくなったヒースにとって、決して小さなものではなかった。それらのすべてが嘘だったとは思いたくない。だけどオースティンにはヒースよりも優先すべきことがあるはずだ。ただの親切心だけで教えてくれるとは思えない。
 ヒースが自分を疑っていることがわかっているみたいに、オースティンはいつもと変わらないようすで「何だ、言いたいことがあるなら言ってみろ」とヒースを促した。
「お前は密命を受けてこの大会に参加したと言った。それなのになぜ俺に話した? 俺がいま聞いたことを誰かに話したら、お前の国にとっては都合が悪いんじゃないのか? お前は困った立場に置かれるんじゃないのか?」
「よくはないだろうなあ」
 全く困っているようには思えないオースティンの返答に、ヒースは眉を顰め警戒を強める。いったい男が何を考えているのかわからない。
「――俺の国にはときどき異能の力を持つ者が生まれることがある。異能といっても大した力じゃない。人よりも天候が読めて自然災害に備えることができるとか、人の身体を包み込む色が見えるとか、あってもその程度だ。俺の母親は元は巫女で、俺を生むまでは目には見えないものの存在を感じ取ることができたらしい。俺にもわずかだがその力が備わっている」
 話の先が見えず、男の言葉をどう受け止めていいかわからないヒースの戸惑いがわかったみたいに、オースティンは息を吐くと、困ったような笑みを浮かべた。
「お前に頼みがある。お前がいつも首から下げている袋の中身を、俺に見せてくれないか」
「袋の中身? いったい何の話だ?」
 ヒースは内心でぎくりとしながら、とっさにシュイからもらった石が入った小袋を握りしめる。そのことに気がつき、反応した自分を腹立たしく思った。
 じわりと不安が広がる。オースティンは何を知っている? いったい何が目的だ? それまで信用できる男だと思っていたが、オースティンのほうは何か目的があって自分に近づいたのだろうか。これまで彼と交わしたやり取りを思い返しながら、ヒースは何か決定的なことを自分が漏らしていないか不安を覚える。