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「いしものがたり」第30話

「そんなことはしたくない」
 ヒースの言葉に、アルドの目に灯っていた光がふっと消えた。
「……そうだな。お前はそういうやつだ」
 その言葉にヒースが違和感を覚えた刹那、それまでの穏やさが嘘のように、寒々とした空気に包まれた。突如、目の前に立つ男が見知らぬ人物に思えてくる。それまで知っていたはずの仕事仲間などではなく、何か得体の知れないものであるかのように。
 お前は何者だ? いったい何が目的だ? 俺の何を知っている?
 これまで何度も浮かんだ疑問が再びヒースの脳裏を過ぎる。物言いたげなヒースの表情に気がついたように、アルドは皮肉な笑みを浮かべた。
「何だ、何か言いたそうだな。いいぜ、言ってみろよ」
 聞きたいことは山のようにあった。だけどヒースは深呼吸すると、恐怖すら覚える男の顔をまっすぐに見つめた。
「さっき、戦争をしたらこの国は勝てないとお前は言った。当然王都側もそれをわかっていると。だとしたらこの国はどうなる? お前ならどうすると考える?」
 ヒースの問いに、アルドは疑問を持ったようすもなくあっさりと答えた。
「この国を治めているのはメトゥス王だが、実際この国の実権を握っているのはマーリーン公だ。あの男は賢い。自分が損するようなことはしないだろう。だとすると、できれば戦は避けたいと考えるはずだ。いまのアウラ王都の現状では勝てないことはわかっているからな。さて、ここで問題だ。この状況でお前ならどうする?」
 マーリーン公は、新しい石さまを生み出す秘策があるのだと言っていた。このままシュイが石を生み出さない限り、メトゥス王は秘策を試そうとしているのだと。だが、マーリーン公はその秘策を信じてはおらず、半信半疑なことも言っていた。だとしたらどうする? どうしたらメトゥス王を納得させ、同時に諸外国との戦を避けることができる?
 ヒースはアルドに言われた言葉をじっと考える。わからない、いったいどうしたらいいのだろう……。だけどもし自分ならきっと……。
「たとえ嘘でも石さまがまだその役割を果たしていることを諸外国に知らしめる。戦を仕掛ける理由はないのだと。――ああ、だけどだめだ、シュイは長い間貴石を生み出せていない……」
 堂々巡りだ。ヒースが思考に沈むようすを、アルドはじっと眺めている。そのときヒースはある矛盾に気がついた。
「だけどもしかしたら、諸外国だって本当はどうすればいいか迷っているんじゃないか? 無理にアウラ王都から石さまを奪ったとしても、自国で同じことが起こらないとは限らない。そしたらまた新たな戦が生まれるだけだ。そこをうまく交渉できないだろうか。たとえばそうだな、わずかばかり猶予をもらって、その間に石さまが役割を果たしていることを知らしめるとか……」
 言い掛けて、ヒースはようやく気がついた。自分が捕らわれた訳を。ヒースは目を瞠ると、愕然とした思いでアルドを見た。
「そうか、だから俺だったんだ……!」
 いまはじめて自分が捕らわれた理由が腑に落ちた気がした。ずっと不思議だった。なぜそれほどまでに自分が執拗に狙われるのか。それは自分が村の生き残りだったからだ。何をしてもシュイの心を動かすことができなかった彼らにとって、唯一残された可能性だから。
 もうあまり時間は残されていないと言ったマーリーン公の言葉が蘇り、ヒースははっとなった。いま自分が牢から消えたことを知られたらどうなるのだろう……。
 ヒースの考えていることが呼び水になったように、場内が騒がしくなった。まずい、自分がいなくなったことに、王都側が気づいたのだ。
「早く戻らないと……!」
 はじめからヒースに逃げる気はなかった。シュイ一人を置いてどこかへいく気などない。ただ、できることならばもう一度だけ、外の空気を吸いたかった。ヒースはアルドの腕を離すと、まだふらつきが残る足で塔のほうへと向かう。
「は? お前ばかか! いま戻ったら生贄にされるぞ!」
 アルドの言葉に、ヒースは思わず足を止めた。振り返ると、アルドがしまったとでもいうような気まずそうな顔で、その場に立っていた。
「俺が生贄に?」
「だからそうだと言ってるだろう!」
 アルドは忌々しげに吐き捨てると、ヒースの腕をつかんだ。アルドには珍しく真剣なその目を見て、ヒースはようやく彼がなぜ危険を犯してまで、自分を助けにきてくれたのか気がついた。
「お前はそれを知っていたんだ……! 知っていて、わざわざ助けにきてくれたのか……!」
 思わず呟くと、アルドはむっとした顔をしながらもヒースの言葉を否定しなかった。ヒースはいつも何を考えているのかわからないと思っていた男の顔を見た。
「勘違いさせたなら謝る。だけど俺ははじめから逃げる気などなかったんだ」
 ヒースの言葉に、アルドは訝しげに眉を顰めた。やがてその瞳に理解の色が浮かび、眼光が鋭さを増した。
「むざむざ殺されに戻るつもりか」
「できれば俺もそれは避けたい……」
 だけど仮にそうなっても仕方がないとヒースは思っていた。
 場内はますます騒がしくなる。ヒースは焦った。このままではアルドも一緒に見つかってしまう。
「ここまでしてくれて感謝する。だけどここから先は一緒にいけない。お前一人なら充分逃げられるだろう」
 ヒースが離そうとしたその手を、アルドはますます強くつかんだ。 
「お前一人でどうにかできると思っているのか! それともすべてを諦めてあの小僧の犠牲になるつもりか!」
 すべてを諦めたつもりはなかった。だけどアルドの言っていることはひょっとしたら正しいのかもしれない。常時ならいざ知らず、いまの自分にできることがあるとは思えない。アルドの言う通り、自分はただ諦めただけなのかもしれない。
「わからない。でもシュイを置いてはいけない」
 ヒースはアルドの手をつかむと、そっと引きはがした。
「待て! あの小僧がお前に何をしてくれた? あの小僧がいたせいで、お前の家族は殺されたんじゃないのか? あの村だってあの小僧がいなければ滅ぼされることはなかった! なぜそこまであの小僧にこだわる?」
 ヒースは足を止めた。なぜなんて考えたこともない。シュイを助けなければいけない理由があるとしたら、それはシュイがヒースの家族だからだ。いまでは唯一残された大切な。
「俺の家族が殺されたのはシュイのせいなんかじゃない。シュイは何も悪くないよ」
 ヒースの言葉に、アルドは頬を打たれたような顔をした。はじめて見るその表情に、ヒースはひどく驚きながら、あらためてアルドに言われた言葉を考える。
「……シュイが石を生めなくなったのは、俺のせいかもしれないんだ。俺が、シュイにもう泣くなと言ったから」
 自分が戻っても、シュイは石を生み出せないかもしれない。だけどシュイを置いていく選択肢だけはヒースにはなかった。
 アルドはこぶしを握りしめると、無言でうつむいた。普段自分以外の人間はどうでもいいと思っているような男の感情的な態度に、ヒースは内心で意外に思いながら、アルドに近づいた。
「アルド」
 ヒースがその腕に触れると、アルドはびくっとした。その瞳がヒースを見て、苛立つように悔しさを滲ませた。ヒースは微笑むと、まるで小さな子どもに話しかけるみたいにアルドに告げた。
「ありがとう。お前はどうか無事に逃げてほしい」
 アルドの正体などもはやどうだってよかった。たとえ男が何者であろうと、危険を犯してまで自分を助けにきてくれたのは事実だ。
「勝手にしろ!」
 アルドが身を翻し姿を消した瞬間、城から兵士たちがどっと流れ込むようにやってきた。抵抗するつもりはないのに、地面に顔を押さえつけられると、後ろ手に縛られる。
「マーリーン公に報告しろ!」
 ずるずると引きずられながら、ヒースは塔へと連れていかれる。アルドが兵士たちなどに捕まるはずはないとわかっていながら、無事に逃げ果たせたことにヒースは安堵していた。