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関西に歌舞伎が戻ってきた歓び―南座吉例顔見世興行第1部

 南座の顔見世といえば、12月の京都の風物詩。劇場前に掲げられる俳優の名前が書かれた木札は「まねき」と呼ばれ、11月のうちに毎年真新しく作られる「まねき」の準備が進む様子も、季節のニュースとして取り上げられる。戦時中も絶えることのなかった風物詩だが、今年は、どうなることかと多くの観客が(そしてきっと俳優やスタッフの方々も)緊張して待っていたのではないだろうか。

 結果、例年より期間も客席数も減らすことにはなったとはいえ、今年も京都で顔見世興行が行われることになり、南座には櫓とまねきが上がった。奇しくも、3月に南座の公演(スーパー歌舞伎II「オグリ」)が中止になって以来、初めて、関西で歌舞伎の本興行が実施される機会となった。伝統の顔見世で関西の劇場に再び灯がともるというのも感慨深い。

操り三番叟

 その第1部。冒頭は、踊り巧者の若手筆頭・鷹之資の操り三番叟。後見には、ANAの安全ビデオでもおなじみ、超歌舞伎で主役を務め、今やお弟子さん筋の最右翼ともいえるかもしれない國矢。華やかでとても良い。特に、こういう時代に希望を与えようという意図をもって、朝一番の演目に選ばれたのだろうと思うと、その趣向もとても素敵だ。

 鷹之資は、いつもの踊りのようにキレの良さや勢いで魅せるという強みを強調せず、巧さで魅せようという姿勢が垣間見えて新鮮。多面的なところと、芸の奥行きを感じさせられたような陶酔感に襲われる。人形としての機械的な動きがとても緻密だし、生身の人間であるがゆえの「ゆるみ」というか、制御しきれない余分な動きみたいなものが全く見られず、静かに圧倒された。

 にもかかわらず、人形振りだからといって心が入っていない冷たい印象になるかというとそうではなくて、柔らかみや温かみを感じさせられるという不思議な魅力を兼ね備える。顔の表情は、普段舞台上で魅せるような可愛らしく明るい笑みとは異なり、人形になりきるという意志を感じさせる虚ろな目が印象的。そんな、焦点がぼやけているかのごとき表情を見せながら、終盤では、高速の回転や滞空時間の長い連続の跳躍など、アクロバティックな動きを見せており、興奮させられた。

 國矢の後見は、堂々たるもの。特に、鷹之資がうつ伏せになってじっとしている間、客席のあらゆる視線を集める中で、人形に糸を結び付ける仕草をとても丁寧に見せたことには好感を持ったし、後見という人の存在をよりリアルに感じることができた。人形の手足や頭を糸で操って見せるくだりは、足を使って鷹之資にタイミングを伝えつつ、長唄を聴いて絶妙なタイミングを探り、鷹之資の動きに合わせて動くという高度な技術を見事に見せた。本当の(?)後見は折之助。

傾城反魂香 土佐将監閑居の場

 後半は、傾城反魂香から吃又(土佐将監閑居の場)。最近とみによくかかるので、いろんな配役による芝居の記憶がまだ鮮やかに残っている演目。

 冒頭の百姓たちに、鴈乃助や扇之丞が含まれていて、女形ではない上に土臭い役なのがなかなか新鮮。この人たち、「おじさん」の役もこれほど自然にこなすのか、と舌を巻いてしまった。修理之助は吉太朗。女形の人であることを思わせる高い声には、お、と思ったが、若さを示すという意味では効果的か。台詞もひとつひとつ丁寧で、まじめな弟子であるという印象がちゃんと匂い立った。虎をかき消すくだりでは、「龍」の字をそうと分かるように丁寧に書いていた。

 寿治郎・吉弥の将監夫妻。寿治郎は厳格さと威厳が、吉弥は思いやりの深さが、それぞれ大きな見せ場はないけれどよく滲み出ていて、好対照が美しい役割分担。特に吉弥は、将監に見えないようにおとくに向ける優しい眼差しが印象に強く残った。

 又平・おとくは、鴈治郎と扇雀の兄弟。登場直後、扇雀のおとくのおしゃべりは、それだけで甲斐甲斐しく明るい世話女房のキャラクターが色濃く出ていてある意味圧倒されるし、役の像がクリアになって良い。鴈治郎は、吃って喋るくだりは、本当に半分ぐらい内容が分からないほどで、リアルではあったが、そこまでやる必要があるのか、もっと象徴的に描くのではいけないのか、といった議論はあり得よう。しかし、目の表情だけで想いを語る芸達者ぶりには率直に感動した。苗字を許されないことが分かったときの絶望、もはや死ぬしかないという諦念…涙を誘われる場面がここそこにあり、想像を遥かに超えてきた。観客の感情に訴えかけてくる俳優だなぁと改めて感心。

 それを観た上で振り返ると、扇雀のおとくは、役の性質上、状況を説明する立場にあるのである程度仕方ないが、説明くささを感じさせられてしまう面は若干あったような気がする。又平が握りしめた筆から離れない指を一本一本外してやるくだりなど、愛情にあふれていたが、鴈治郎の又平よりも理性が先行するおとくだったか。おとくは、それだけ多面的で複雑な役だということでもあるだろう。

 雅楽之助は、虎之介。ぱっと華やかさをもたらす役で、明るい声色やはっきりした口跡によく合っていて上々の出来。これを皮切りに二枚目らしい役を勉強する機会が増えると、俳優としての幅が大きく広がるのではないだろうか。

 最後は、将監が手水鉢を切り、又平の吃りが治るパターン。やや間延びした印象は拭えなかったのと、鴈治郎の又平が、もともと吃りがあることを捉えて過度にコミカルに描かれているのが気にはなったけれど、おかげでこの上なく明るい幕切れが生み出され、この時代にこういう芝居を楽しめることの意義は非常に大きいと感じられた。

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