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千束から浅草へ

In the middle of Covid-19
エセ・コロナに2022年8月に罹ったみたいだった。熱は38度程度が1日、咳が1週間、味と匂いが2ヶ月消えた。風邪引いたかなと思った日に5-ALAを3、4錠飲んだが効きそうになかったので、友達からもらっていたイベルメクチンを1錠飲んだあとだったので、症状は大したことなかった。もちろん、ヤブ医者には行かなかった。でも、会社からPCRだけは受けてとのことで、罹った後の陽性と2週間後に受けて陰性で無事職場復帰した。もちろん、例の注射は全く受けていないので血管の中は綺麗な身体だ。おかげで、この騒動の最中はワク証明書の要る海外には行けずじまいだ。
これまで、海外に行くために仕方なく打った黄熱病から破傷風、B肝など仕事で必要な以外のワク注射(インフルなど)はここ10年間は全くしていないので、自分の免疫力は相当高いレベルだと思っているが、その結果が疑似コロナ罹患で証明できた。

After Covid-19
ワクの悪口=日本政府(厚労省)の悪口はこれぐらいにしてw、千束にあるカツカレー発祥と言われているお店に息子と食べに行った。
千束は江戸の頃からオジサンの集う下町であり、また、江戸時代の新吉原の地であり、“綺麗なお姉さん“と“べランメェの下町江戸っ子“のオジサンがミルフィーユ状態で歩いているシュールな街だった。
きっと、江戸時代もこんな雰囲気だったのかなと、脳内タイムスリップして楽しんだ。
暑いので、真っ昼間から息子が勧めるビール大瓶2本を飲みながら、カツカレーやポークソテーを食べて、オジサンだけヘベレケになって、途中で酔いを覚まして浅草寺へ向かった。

小麦粉の入っていないポーク・チョップにした。甘いトマトソースはw
ビールは、、、大麦だしw

赤い顔を覚まして、花屋敷のゲートを初めて見つつ、浅草寺へ着いた。見えてくる人の列や聞こえてくる会話はほとんど外国語だった。当然、外国人はマスクしていないので、外見が東アジアの人でもわかりやすい。お守りはあまり好きではなく、いつでもどこでも、おみくじを引くことにしている。浅草寺のおみくじは、申し訳なさそうなぐらいの英語で書いているが、日本語と全然違う内容であり、まぁ、記念品ぐらいの感じで外国人が引いている。違いも分からないから、幸せだw

東京随一の名所、東京スカイツリー634m(武蔵)みんな、高いところが好きw

浅草寺から雷門を通り、亀十のどら焼きを食べて(隣の西村はガラ空きだったが、どうして???)、“すみだリバーウォーク“で隅田川を渡り、例の金色のウ⚪︎コビルをまじかで眺め、途中、風情のあった名前の業平橋(なりひらばし)を眺めつつ、東京スカイツリーへ向かう。

業平橋もコンクリートの下にw



業平と言えば、伊勢物語125段
「つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」(業平の辞世の句)
業平のたたずむ、スカイツリーにようやく遊びに行くことができましたと。

でも自分は細川ガラシャの辞世の句が好きだ。
「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」だ。

コロナで散らなかったオジサンは、外国人の集う浅草を見て、また、海外向けの仕事がしたくなって、次の新しい仕事場へ向かうことを決意した。(了)

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