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「器用貧乏」愛すべき器用と憎むべき貧乏
器用貧乏は「貧乏」という言葉がついているだけで貧乏になるストーリーを連想させる。
「器用貧乏」
なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。
頑張って働いて、勉強もして、やりがいもないわけではない。 でも収入は一向にあがらず支払いだけが増えていく人生。
コレを貧乏と言わず何と呼ぶ!?
三郎は職場では器用にいろんな事をできるので重宝される事が多い。
これもそれも、いろいろな事を広く浅くやってきた結果である。
とはいえ何かのプロ、専門の分野というものはない。
職場では、何かの専門、その道のプロみたいな人はお給料は、三郎よりいいのだ。
彼は...お給料面では笑顔になれない。
彼は器用である自分が好きであるが、その結果得られる貧乏が憎い。
雇う側は、人々の能力と労働に値段をつけて、時給や月給というカタチでお金をくれる。時給800円代から始まり時給数千円、数万円…
労働者の世界で生きていくかぎりは、何かのプロになって、希少価値の高い仕事ができれば高収入は確実。お医者さんや弁護士さんなんかはそのいい例だ。
世の中のキャリアの本はこう書いてある。「何かのプロになる為に、自分の専門をみつけましょう!」
自分の専門みつからない人もいる
この世にごまんとある職業から、自分の好きな事で専門を見つける事はできるのか?
三郎が思うに、これは宝くじに当たるような確率だ。
興味のある事はたくさんあるのだが、その事を好きになり、その道を究めるみたいな領域にはまだ、めぐりあっていない。
自分が夢中になれて、好きな事で、その事にすごく詳しくなって、収入もよくて、人のタメになるような仕事…そんな仕事が出来たら身も心も満たされて幸せに決まってます!
彼はそんな事を考えていた。
だが
自分の行動力には限界がある、時間の制約、収入の制約だってある…
この世界にあるほぼ無限の職業から一つ選び取ってコレが天職だ~!とはいかない。
天職というストーリーそのものに無理がある!! という結論に達したのだ。
器用貧乏が幸せになるには!?
三郎は 幸せになる事 満たされる事について考えた。
何かにものすごく詳しくなくても、自分の専門がなくても、身も心も満たされていたら幸せなハズだ!
現代人は足りないものばかりに目がいっているのでは!
例えば...
「自分」は、「自分が自分である事においてのみ専門である」とカンガエルのはどうか?
これからは「自分が自分である」事に集中する。
そうしたら以前よりちょっとだけ幸せを感じる事が出来るようになった。
もちろん彼の仕事柄とらなきゃいけない資格などもあるが、あくまで広く浅くの一環として楽しくやっていこうと思うそうだ。
「器用貧乏なんて嫌…専門をみつけなきゃ…でもみつからない…」
それは 昔の三郎だ。
そのまま自然体で、自分が自分であるコトに集中するストーリーを描くコトで、三郎は以前よりも、しっかりと前を向く事ができるようになれた。
自分らしい自然体な生き方をしていたら足りているものに目が行くようになった。収入は変わらないが、欲しいものが減り支出が減った。
昔誰かが言っていた。
「貧乏を克服するには 収入を増やすか 支出を減らすかが必要だ」
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