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人生を変えてくれた初めての美容整形

インターネットも存在しなかったような時代に、二十歳の誕生日を待って、すぐに受けた美容整形。私の人生の最良の決断の一つです。その後の様々な決断の土台になってくれたと思っています。やっていなかったら私の人生はもっと暗かったのではないかと思います。人生は自分で切り開いていくもの。その最初の第一歩だった気がします。

美容整形の善悪

NOTE の美容整形関連の記事を見て「美容整形の善悪」についての記事が多くて驚きました。あまり考えたことがなかった。他人の決断を他の人間が「良い、悪い。」と言うの? 「良い悪い」決めるとしたら神様だけ。人それぞれ環境も持って生まれたものも違う。顔にメスを入れたり、縫ったりするのは、怖いし勇気もいる。結構お金もかかる。病みそうなダウンタイムもある。さんざん悩んだ末の決断。自分で全て決めて結果は自分で受け止めればいいだけ。他人は放っておけばいい。自分を本当に理解してくれる人は、決断を尊重してくれると思います。

自己評価の低さを埋める

過去の自分に戻すフェイスリフト等のアンチエージング系とは異なり、若いうちに形状を変える美容整形は、何か精神的に埋めなければいけないものがあったのだと私の場合は思います。
父親に似ている他の兄弟は、私設ファンクラブがあったり、初めてのアルバイトがコマーシャルだったりで、周りから注目を浴びていました。私は何となくそこにいる感じ。スカウトされまくっていた妹と弟。父から「お前は無理や」といわれる私。父に愛情がなかったわけではないことは、わかってはいたけれど10代の私にはきつかった。弟には喧嘩すると「わがままそうな顔」と言われてました。瞼の重い奥二重で本当にそうだなと思ってた。弟や妹との比較があったので余計に自分の容姿がつらかったのだと思う。
自己肯定感が本当に育たなかったのだと思う。不細工な犬でも飼ってたらかわいいし、私は「かわいい、かわいい。」と毎日言って育ててる。黄金比のかわいさはないけどかわいいから。話はそれるけど、子供はみんなかわいいかわいいて言って育てるべきだと思ってます。経済的ゆとりがなくてくたくた、精神的に弱っているいろいろ事情はあると思いますが…。客観的な不細工さなんて、後で気づくし「自分なりにかわいい。」と思い幸せに生きていけるのだから。ただ、現実重視してよかったのは戦略を変えて頭の良い子として生きていくことにしたことです。そして私はずっと「賢い子」として落ちそうな自己評価を保っていました。若くて賢い子には世の中やさしいです。中学、高校、大学と奨学金というお金をくれました。

初めての美容整形

とはいっても、痩せて青白い「天才少女」は、「わがままそうな顔」が嫌で気にしてないふりをしながら二重瞼を二重専用のグルーで作っていました。瞼はただれてとても痛かったのですが、成人して自分で手術を受けれるようになるまでがまんしていました。大学入学と同時に、焼き肉屋と家庭教師と塾講師で50万円を貯めて、20歳の誕生日を迎えてすぐ、大阪の黄色いビル
にあるクリニックへ行きました。インターネットもないような時代。昔過ぎて詳細は覚えていない。待合室で待ってたら、施術に来てたおばちゃん(今の私よりたぶん若い)が、「あなたそんなに可愛らしいのに、手術するの?必要ないわよ。」と何度も言ってくれた。家族にそういわれて育ってたら恐らくクリニックにはいってなかったと思います。でも全然手術は後悔していない。

二重と目頭切開

結局、二重と目頭切開をした。埋没と切開二重があることさえ知らなかったし、目頭切開なんて言葉さえ聞いたことがなかった。今でもどっちだったのかわからない。ただ「わがままそうな顔」から決別したい一心だった。目頭切開もやってくれた医師には感謝です。当時は美容整形も今ほど一般化していなかったので、誰にも言いませんでした。術後は江坂のビジネスホテルを3日予約していた。なんで江坂だったのかわからないけど。多分安かったのかな?ダウンタイムがどれくらいなのかもわからなかったので3日でめがねをして帰ったのだけれど、今考えれば一番腫れのピーク。父親は「お前何してん?」と帰るなりただ驚いていたのは覚えています。その後、関東に戻ったのであまり覚えていません。ただ、それからの人生は大きく変わったと思います。








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