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『ゲルマン人とビール』

どうも、こんにちは。

神戸三宮にあるビアパブPUBLIC BAL PACINOというお店で、店長兼、ビール注ぎをやらせてもらったり、神戸ビアクラブの代表を務めさせてもらってます、
日本のビール界の担い手、前田大作です。

このビアノートでは、ビールの基礎知識から少しマニアックな内容まで淡々と書いていきます。
そんなに長文ではないのですらっと読めるとは思いますが、
最後までお付き合い宜しくお願いします。

🍺BeerNote 〜5杯目〜

娘がお昼寝したので、今のうちに書きます。
本日は『ゲルマン人とビール』についてのお話です。
ビア検定にもよく出題されるこのゲルマン人、
さて何者なのか…
超簡潔に言うと非常に大酒飲みの民族だったそうです。

そして、まず初めに気になるビールの酒造方法ですが、メソポタミアのようにパンから発酵させるのではなく、乾燥した麦芽を水と混ぜ、それを沸騰してもろみの糖化を行い発酵させるという現代のビールの製法に似た作り方だったそうです。
(※まだホップは使われていません)
ゲルマン人がいつからビールを飲んでいたのか…
そのヒントが彼らが飲むビールの容器として使っていた野牛の角からできた角杯(※角ハイボールではありません。)から、ハチミツによってアルコール濃度を高めたと思われるビールの痕跡のようなものがあったそうです。
多くの労働は女性が担当しており、男達は狩捕と戦争意外は働かず、角杯でビールを飲み回し、宴会に明けくれていたそうです。

ゲルマン人は結構良い人達だったらしいですよ。


ローマ帝政期の政治家・歴史家であるタキトゥスが執筆した『ゲルマニア』(←※ここビア検定でます)の中では『飲料は大麦、もしくは小麦からつくられ、いくぶんワインに似た液体がある』(←※このフレーズもビア検定に出やすいです)と書かれています。

タキトゥス様 目ぱっちりしてて男前や〜ん。

話は少し変わりますが、ローマ帝国の皇帝ユリアヌスはビールの事を『まるで、山羊の悪臭がする!』と評していたそうです。

しかし帝国の楚を築いた英雄ユリウス・カサエルは7年にわたる遠征の中でガリア人やゲルマン人と接触し、ビールに慣れ親しんでいました。
彼は紀元前49年『賽は投げられた』の名文句で名高いローマ侵略の際、部下に労いのビールを振る舞っていたそうです。

ええ奴やん。

なるほど〜、、僕もこの『賽は投げられた』って言う言葉は大好きで、、
何故なら超絶大ファンのL'Arc〜en〜Cielの“賽は投げられた”って言う曲があるんですが、もう好きすぎて何回も賽を投げました。

すいません、これが言いたかっただけです。


しかしながら、やはりビールという飲み物はいつの時代も人々を幸せにする力があるという事なんですね。


さて、涼しくなってビールの美味しさが味わえる季節がやってきました。
今宵はキリンビールの“秋味”で乾杯したいと思います♪

本日も最後までお付き合いありがとうございました。

また次回も乾杯しましょう🍻

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