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恥市場 2『死を呼ぶ海』

怖い思いをしたが、怪談にはならない――そんな体験もある。

例えば・・・。

八才の夏、海で死にかけた。

家族で海水浴に出かけたときの出来事である。

当時の私は、プールの授業でクラスの中でも比較的早く、ビート板なしでバタ足泳ぎができるようになっていた。その程度で、「オレ、泳ぎ得意だから」と思い上がってしまうところが小学二年のアサハカさ。

海水浴場でも海を舐め切っていて、無謀にもやっと背が立つほどの深みへ進んでは、ときおり波に浮いて足の裏が海底から離れる浮遊感を楽しんでいた。

と、ひときわ大きな波が押し寄せた拍子に身体が大きく斜め方向にずれたかと思うと、沖の方へ引っ張られて始めた。踏ん張ろうにも、足が底につく気配はない。

いまから思えば、沖へ払い出す流れにはまってしまったのだが、十歳に満たない頭では状況が理解できない。

流されて、両親の待つ砂浜がどんどん遠ざかる。ても慌てることはなかった。

「泳いで戻ればいいだけさ」

さっそく私は得意技のバタ足泳ぎを華麗にに披露するが、そんなものが通用するはずはない。当時は海の恐ろしさを全く理解していなかった。プールと海の違いを「真水か塩水か」程度の区別しかしていなかった。

いくら泳いでも岸に近づく気配すらない。この期に及んで初めて「これはマズイ……」と思った。夏に入ってから毎日のようにテレビのニュースが報じる「海水浴中の死亡事故」が頭をよぎる。このままでは自分も溺れ死んでしまう。

さすがに焦って全力でバタ足を試みるも、岸は近付くどころか遠ざかる一方。努力が報われない理不尽な状況に憤りを覚えた。やがて息が苦しくなり、手足もだるくなって動きも鈍り、頭も「ぼうっ……」としてきた。

私は諦めて、泳ぐのをやめた。

「ああ、もう死ぬんだ……」

そう思った。

「短い人生だったなぁ……失敗したなぁ……残念だったなぁ……」

遠ざかる意識で、そんなことを考えていた。

後悔と不本意――それが死を覚悟した八才児の心境だった。

不思議なほど穏やかで、恐怖や絶望は感じなかった。

気がつくと、母親に抱えられて水面を引きずられていた。

間一髪気付いて助けてくれたようだが、大人でさえ顔がやっと出るほどの水深だった。親子ともども流されて溺死しても不思議ではない。助かったのは、ただひたすら幸運が重なったためだ。

ようやく岸辺にたどり着き、九死に一生を得て安堵する暇もなく、私は親からこっぴどく叱られ、叩かれた。

死を目前にした子供が恐怖を感じなかったことが、いま考えるとけっこう怖い。

海では子供から目を離してはいけない。たとえ一瞬たりとも。

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怪談にならない恐怖 其の一


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