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人と自動車のための未来都市

首都圏にかなり長いこと住んでいて思うのは、都市はもっと理想的な形にできるのではないか?ということだ。

自動車と人間の動線

特に日本の都市で問題に感じるのは、都市の中で自動車と人間の「動線」が混ざり合っていることだ。自動車と人間が同じ「道路」という動線に沿って移動してしまうために、さまざまな痛ましい事故が起きている

歩道を歩いている小学生の列に自動車が突っ込んだり、信号待ちをしている人たちが交差点での自動車事故に巻き込まれてしまったりして、人間よりも圧倒的に硬くて重い自動車が容赦なく人間を傷つけてしまっている

そして、こうした問題を解決し、人が都市で安心して暮らしてゆくには、自動車と人間の動線を分けること、交差点をなくすことなどを含めて、都市を再設計する必要があるのではないかと考えている。

交差点の問題

多くの自動車の事故は交差点で起こる。もちろん、真っすぐな一本道や緩やかに曲がるカーブで起こる事故もあるけれども、大多数の交通事故は交差点で起こる。

では、なぜ交差点で事故が起きるのか?と言えば、こうした交差点での自動車の動きが複雑過ぎるためにさまざまな事故が起きているのだと思う。

例えば、次のような交差点を考えてみると、基本的にはこの交差点に進入する自動車の動きは4パターンだが、それぞれの方向から進入する自動車が直進・左折・右折の3パターンを取るとすると、交差点での自動車は12パターンもの動きをすることがわかる。

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もちろん、信号機のある交差点では、こうした自動車の動きは6パターンずつに時分割されるが、それでも交差点での自動車の動きは十分に複雑で、ここに歩行者やバイクの動きが混じることで、交差点での移動体の動きは更に複雑化してしまう。

交差点では、こうしたさまざまな移動体がさまざまな動きをすることで、ドライバーには複雑な判断が要求され、結果的にさまざまな事故を誘発してしまっている。

交差点をなくすには?

では、交差点をなくすにはどうしたらよいだろうか?

海外では「ラウンドアバウト」のような方法で、うまく交差点をなくすようなことも行われている。ただ、もし都市を再設計することができるのであれば、全ての道を一方通行にしてしまえばよいのではないか?と考えている。

つまり、一方通行でない道が交差すると、交差点では非常に複雑な動きのパターンが生まれてしまうが、全ての道を一方通行の道へ分解してしまえば、各交差点での動きは次のような4パターンしか生まれない。

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更に、こうした交差点を立体交差にしてしまえば、信号さえ要らなくなる。

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自動車の苦難

東京は交通機関の発達した便利な都市ではあるけれども、自動車で移動しようとすると、ちょっとした短い距離の移動でも案外に時間がかかってしまう。信号や渋滞で、自動車が本来持つ速度で移動できなくなってしまうためだ。つまり、この都市は「高速移動」という自動車のメリットを完全に殺してしまっている

例えば、西武池袋線の練馬駅から東横線の都立大学駅までを自動車で移動することを考えてみると、時間帯にも寄るが、1時間以上の時間がかかってしまうことも珍しくない。たった 14.6km の距離の移動に1時間以上の移動時間がかかってしまうのだ。

時速 60km で移動することができれば、たった 15分ほどで移動できる距離に1時間以上の時間がかかってしまう。無論、電車で移動すればもっと早く移動できるが、それでも 40分ほどの時間がかかってしまう。

つまり、都市が自動車の移動体としてのポテンシャルをきちんと引き出すことができていない。そして、この原因は都市の動線がうまく設計されていないことに起因している。

都市における人間と自動車の動線がきちんと設計されていれば、自動車も本来持っているポテンシャルを十分に発揮して、都市においても十分に有効な移動手段足り得る。

また、エネルギー消費という観点から考えても、自動車は停車や発進を繰り返さない方が効率がよい。現在のハイブリッド車や電気自動車は、回生ブレーキなどの仕組みによって走行時の運動エネルギーを電気エネルギーとして回収できるような仕組みになっているが、それでも一旦自動車を停止させ、再び発進をさせるという動作を繰り返すと、どうしてもエネルギーのロスが発生してしまう。

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つまり、停車と発進の回数が多いほど、エネルギーのロスが生まれるのだ。個々の自動車たちは、こうした厳しい環境に回生ブレーキなどの新しい技術でなんとか適応しようとしているが、自動車たちの努力だけで対応するにも限界がある。

そろそろ都市も自動車たちに寄り添ってやる時期が来ているのだと思う。

人間の動線

海外などに行くと、たまに魅力的な街に出会う。どんな街に魅力を感じるかは人によってもさまざまかもしれないが、自分が特に魅力的に感じるのは、歩くことが魅力的な街だ。

例えば、それはヨーロッパの小さな古い都市で、道幅は狭く、自動車はあまり走っていない。自動車はいないから、人々は石畳の街を自由に歩く。こうした街では、気に行ったお店の前で前で立ち止まってショーウィンドウの眺めることも、街角でふと出会った友人と話し込むことも、カフェで通りを歩く人を眺めながらゆったりとした時間を楽しむことも自由だ。

つまり、自動車がいないので、人々はゆったりと街歩きを楽しむことができる。一方で、日本の都市には常に自動車が入り混んでいる。例えば、日本のこんな道路ではふと道で会った友人と立ち話することすら難しい。

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つまり、こうした道路は人間のために作られたものではないと言える。

本来的には街は人間にとって快適であるべきで、進むことも立ち止まることも、人間の思うがままにできるゆったりとした街であって欲しいと思うのだが、日本の場合はそうした街が決して多くはない。

そんなことを考えているうちに辿り着いたのが、人間と自動車の動線を完全に分離した計画都市のイメージだった。計画都市というと人工的で直線的なものから構成される「つまらない街」という印象を持つ方も多いかもしれないが、自分が計画都市に対して持つ印象はもう少し違っている。

計画都市

これから自分がイメージするこの計画都市の概要をお話したいと思う。この都市は基本的にモジュール構造を持っており、正方形の街区から構成される。

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この都市の動線である道路は、人間と自動車で完全に分離されており、自動車は自動車の走りやすい道を走り、人間は人間の歩きやすい道を歩く。

また、この都市では全ての自動車用の道は一方通行になっている。交差点も全て立体交差になっており、ほとんど停車することなく、あらゆる街区(ブロック)に辿り着けるようになっている。故に、渋滞も発生しない。

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また、信号機がないので、災害時にも交通は止まらない。例えば、東日本大震災のような大地震で電力の供給が停止しても、自動車は動き続けることができるし、物流も止まらない。救急車も消防車も止まらない。つまり、災害に対して非常に堅牢な都市になるだろうと思っている。

都市の構造がシンプルなので、万が一特定の場所で交通止めが発生しても、簡単に回避ルートを見つけることができる。立体交差には多額の工事費用がかかりそうだが、一方通行の同士の道であるため、複雑な立体構造はいらない。建設費用などもうまく抑えられる工法があるのではないかと思う。

また、直線の長い道路は緊急時には飛行機の離着陸などにも使うようにすることもできる。

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ただ、自宅の前までは舗装道路は来ない。自動車は街区に設置された駐車場に止めて、自宅までは歩いて移動する。一見不便なように思うが、都市から舗装道路の密度を減らすことで、次のようなメリットが生まれてくる。

■ 舗装道路の維持に必要な費用を削減できる
■ コンクリートやアスファルトによる蓄熱を回避できる
■ 土から蒸散する水蒸気により地表面の温度を下げることができる
■ 自然に歩く機会が増えて、都市で人と交流する機会が生まれる

街区の大きさは、一辺が400メートルほどで、端から端まで歩いても5分くらい歩けるサイズ感を想像している。日常的には街区の端から端までを歩くことはあまりないだろうから、周辺の道路から街区の中心まで歩いたとしても2~3分くらいで歩けることになる。大きな荷物を自動車から運ぶ場合はスーパーで使うようなショッピングカートのようなものを使えばよいだろう。

街区の中は基本的に自動車は走ることがないので、子供が街区の中で遊ぶ限りは、自動車事故に遭ったりすることはない。居住をメインにした街区であれば、この街区の中にいわゆるマンションを何棟か建てることになるだろうし、商業をメインにした街区であれば、街区を丸ごとアウトレットのような巨大商業施設にすることもできる。

また、街区ひとつを丸ごと中華街のような食の町にしてもよいだろうし、江戸時代の町を模したような日本的な町を作っても面白い。

自動車と人間のスケール感の違い

この都市の基本的なアイデアの背景には、碁盤目構造を持つ計画都市の考え方がある。だが、これはあくまで自動車という機械のための構造であり、一旦街区に入ればそこは人間だけの世界になる。

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つまり、碁盤目構造とは言っても、その構造が意味を持つのは、自動車のような高速な移動体に対してであり、もっとゆっくり移動する人間にとってはこの碁盤目構造はあまり大きな意味を持たない。故に、「計画都市=つまらない街」とはならないのではないかと思っている。人間にとってのスケール感はもっと小さいだからだ。

つまり、高速で移動する自動車からは、この都市は直線ばかりの走りやすい都市に見えるが、一旦街区の中に入れば自動車の入り込めない人間のスケールの都市になる。従って、ここから先は実際の人間の生活をイメージできる建築家たちによりいくらでも情緒的な街を作っていくことがきる。曲がりくねった道でも狭くて懐かしい路地でもいくらでも街をデザインしていくことができる。

つまり、こうした碁盤目構造を導入することで、合理的な方法で人間と自動車を分けて、人間にとって快適な都市の構造と自動車にとって快適な都市の構造を整合させることができる。

逆に言えば、人間と機械のスケールをごちゃまぜにして都市を考えると、そこではさまざまなカオスが生まれてくる。人を中心に考えるか、自動車を中心に考えるか、と言った悩みが生まれる。それが面白さだと言う人もいるかもしれないが、ここをしっかりと分けて考えることで、人にも自動車にも快適な街を生み出すことができるのだ。

街を繋げる

ただ、こうした新たな計画都市を夢見たとしても、都会の近郊にこうした都市を実現できるくらいの大きな敷地を見つけることは難しい。

おそらく、都会から少し離れた場所につくることになるのではないかと考えている。ただ、この都市はほとんど自動車の流れを滞留させてしまうことがないので、高速道路を分岐させて、SA/PA のように高速道路に寄り添うような形でつくっても渋滞の原因になったりはしないのではないだろうと考えている。

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よくあるのは、高速道路の出口近くに大規模なアウトレットが開発され、こうした商業施設が周辺の道路に大渋滞を発生させたりしてしまうことがあるが、これは商業施設と交通をセットで設計しなかったことに起因している。

もしこうしたアウトレットを、単なる商業施設ではなく、一般の人も住むことのできる都市として交通とセットで設計することができていたとしたら、どうだろうか。こうした商業施設は単なる週末だけ稼働する施設としてではなく、引退して地方でゆったりと暮らしてみたい人たちの生活拠点にしたり、遠隔勤務のできる現役世代の拠点にもできるのではないかと思っている。

こうした都市を高速道路に寄り添わせるような形で、SA/PA のようにあちこちにつくり、自動運転の高速バスで各都市を連結することで、地方経済を活性化する新たな起爆剤にもできるのではないかと思っている。

都市のサステナビリティ

ただ、こうした都市も全ての街区を一気に開発してしまうと、そうした都市も50年後には一気に年老いた街になってしまう。例えば、高度成長期の頃に東京の郊外には沢山の団地が開発されたが、現在はそうした団地の多くは老人ばかりの限界集落のようになりつつある。

そうしたことを起こさないためには、全ての街区を一気に開発するのではなく、時間差を持たせて、まばらに開発することも重要になってくる。つまり、公園のような空きスペースを予め将来の開発のための予備的な場所として残しておく必要があるのだ。

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こうしたスペースを予め用意しておくことで、100年後も200年後も発展を続けられるような都市を作ることができる。

首都機能移転

東京のような一点集中型の都市は、その規模が大きくなるに連れて中心部の需要が高まり、多くの人が中心部には住めなくなってしまう。需要と共に地価が上がり過ぎてしまうからだ。多くのサラリーマンが人生の大半を住宅ローンと通勤のために費やすことになってしまう。

しかし、もし土地への需要をうまく分散することができれば、どうだろうか?おそらく、もっと地価を下げることができ、結果的に住宅購入のハードルを下げることができるだろうと思う。

住宅ローンという重荷をもっと軽くすることができるのだ。そのためには、人口や需要が一点に集中してしまわないような都市のあり方を考えることが重要なのではないかと考えている。そこに使えるのが、分散型都市のアイデアだ。

さまざまな機能を何でも東京に集中させてしまうと、人はどうしても便利な東京に集中してしまうが、もし離れた都市を高速な自動車網で結ぶことができれば、土地需要が一点に集中して地価がむやみに高騰してしまうことを防ぐことができる。

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そして、更にこうした都市のアイデアは首都機能の移転などにも使えるのではないかと考えている。

首都機能移転というアイデアは過去にも何度か検討されたが、それが実現しなかったのは、東京から遠く離れた地方に突然首都を移転しても、おそらくそれが「陸の孤島」のようになってしまい、あまりうまく機能しないと予想されたからではないかと思う。

しかし、東京の近郊に首都機能を移転できるとしたらどうだろうか?これが私の考える「分散型都市へ首都機能を移転する」というアイデアだ。

東京の近郊に首都を移転できるような大規模な空き地を見つけようとしても難しいかもしれないが、こうした分散型の都市であれば、そうした都市のための空き地を見つけることはそれほど難しくはないだろうと思う。

圏央道のような高速道路の近くの空き地を幾つか見つけ、都市を数珠状に配置することで、首都の機能を少しずつ外側へ移してゆくことができるのではないかと考えている。

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このアイデアは、ブログの他の記事でもまとめているので、時間のある方はぜひ読んでみて欲しい。

日本の都市の問題

日本の都市の問題の多くは、こうした都市計画のないまま、その場その場で発展を続けてきてしまったことではないかと思う。

戦後の貧しさから脱却するためには、後先考えずに全力疾走するしかなかったのも事実だが、そろそろそうした戦後の時代を抜け出て、本当の日本の未来を再設計する時期に来ているのではないかと思っている。

ネットワークの発展により、もはや東京のオフィスに人が集まって仕事をする必要もなくなってきた。東京は魅力的な街だが、そろそろ東京を離れて、新しい価値観で新しい都市を再設計してもよい時期に来ているのではないかと思っている。

自分は何の力も持たない単なる中二病のオジサンに過ぎないが、こうした妄想が少しでも本当に力や知恵のある人のインスピレーションにでもなれば嬉しい。


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