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集合写真のあのヒトは

にしのし

へえー! 「縮小解釈」という言葉はあるんですね! びっくりした。

ていうか、ググってから書けば良かった。そしたらもうちょっとおもしろい思考のスキップができたかも。


わからないことを調べずに人にたずねると、「ググれ」とたしなめられる、というネット文化が一昔前にありましたね。最近あまり聞かなくなりましたけど。

「ググる」が市民権を得た今、「わからないことを調べずに人にたずねること」よりも、「本当はわからないことをわかった気になって、あるいはわからないままでもよしとして、ググらずに突き進んでしまうこと」のほうが問題になっているなあと思うことはあります。



落陽ってサイコロのイメージだったなあ。歌詞はほとんど忘れちゃった。ググると何かが失われそうな気がしてググれません。



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ものすごくうろ覚えで恐縮なのですが……現時点で,AIは突っ込まれた膨大な情報をもとに,何かしらの結論を吐き出すけれど,「どうしてその結論に至ったのか」は,AI内部で行われている計算が複雑すぎて,説明されない,のですよね,たしか(だいぶ不正確な言い方ですねきっと,すみません)。

あなたの書いたこれを読んで、ふと思ったことを書く(なおぼくの理解もだいたいそういう感じです、念の為)。



「どうしてその結論に到ったのか」。

以前にも、どこかに「why」と「how」を比較しながら書いたことがあるが(このnoteだったかな?)、人間はとにかく今ある現象をただそれだけでみることをしない。必ずストーリーを追いたがる。

カメラが記録した画像には、時間の流れが写っていないはずなのに、私たちはそれをみて「何がどうなってこうなったのかな?」を気にする。


たとえば人から見せられた集合写真で、一人だけめちゃくちゃ大笑いしてる人が写っていたら、誰もが「な、なにがあったの?」とたずねたくなる。

これはもう、無意識に気にする。

「なにがあったなんてどうでもいい、そこに一人だけ大笑している人間がいたということだねー。」

などと悟って写真を返すような真似はできない。必ず瞬間的にストーリーを連想する。

そういうしくみになっている。そういうふうにできている。


現状の機械学習は、「なんでこの人は笑ってるの?」みたいなストーリーを人間といっしょに追いかけてはくれない。笑っている人を検知し、笑っている人の周りに何が起こっているのかも検知して、それらを組み合わせて相関を探ることまでは、やる。

①「そこに一人だけ大笑いしている人がいるとき、高確率で、その人の周囲にその人に向かって腕を伸ばす旧知の友人がうつっている」

とか、

②「そこに一人だけ大笑いしている人がいるとき、高確率で、まわりの人はみんな苦虫を噛み潰したような顔をしている」

とか、

③「そこに一人だけ大笑いしている人がいるとき、高確率で、カメラマンと笑っている人とが長年の友人である」

とか。

ここまではAIもはじきだしてくれる。

ただし、その先にぼくら人間がおそらく100%やるであろう、

 ①をみて「ああーくすぐられてたのね。」と思う

 ②をみて「あ、笑っている人ってあまり空気が読めない迷惑なタイプで、まわりからは嫌われてるのかな」と考える

 ③をみて「カメラマンと仲が良いからさっさと笑顔をつくってやろうと思ったのかなあ」などと邪推する

といったところまで語ることは、今のAIにはできない。


AIは突っ込まれた膨大な情報をもとに,何かしらの結論を吐き出すけれど,「どうしてその結論に至ったのか」は,AI内部で行われている計算が複雑すぎて,説明されない,のですよね

そうとも言えるし、もっと強いことも言える。

AIはそもそも、「どうしてその結論に到ったのか」に興味がないと思う。

AI内部で行われている複雑な計算にはストーリー性がない。

ブラックボックスの中で行われている計算プロセスを人間がのぞき見て、「なるほどこうやって考えているのかあ」と解き明かす、みたいなことをたまにやっているのだけれど、ほんとうは、「そうやっては考えていない」。

ぼくらが勝手に「ストーリー」にあてはめて眺めているだけだ。



「物語への興味」というのはヒト知性の大黒柱に思える。

人間の大脳が獲得した最も偉大な能力はストーリーテリング能力だ。

目の前で起こっていることのどれとどれが有機的につながっていくかを、「あたかもそうであるかのように」結びつけていく能力がキワだって高い。

ただそこにあるだけの現象をストーリーとして積分することで、ぼくらは世界に時間という概念を新たに生み出した。

AIはおそらく時の中に生きていない、と、とっさに思う。この表現は合っているような気がする。



「なぜ人は死ぬのか?」

AIはこの質問に答えられない。howでもwhyであっても。そんな昔のことはデータにないし、そんな先のことには興味がない。

では人間は答えられるのかというと、これがなかなかけっこうどうして難しい。人間はストーリーを勝手に編み出す能力が高いのだけれど、それでも、まだ足りない。生命の意味を問うほどに、命題がでかくなってしまうと、人間の能力では脳が追いつかない。

ここに追いつくと滅びてしまうから、ぎりぎり解釈がおいつかない状態で留まるように、進化の過程でそういう脳になったのかもしれない。わりと強めの確信がある。



(2020.7.30 市原→西野)