将棋か囲碁か。
やさしい医療情報を世に広めていこうとがんばる試み……に限らず。
医療に従事するということそのものにおいて。
現場で働く医者は、たまに、自らを「将棋のコマ」に例える。
特に、飛車や金に例える。「龍王」だと言う人もいる。
医者の業務は、患者やその家族などに与えるインパクトが強く、一手により局面が大きく動くし、手がける方向が手広い。だから強いコマに例えるのだ。
こういうことは、あまり他職種の人の前では言わない。自らを龍王にたとえるというのは不遜みが強い。さすがに自粛するのだろう。
でも、医者どうしで酒を飲むと、今でもたまに、「結局は医者が動かないと何かを大きく変えることはできないんだよな」と自負する医者たちを見る。
なんだか偉そうだな、と思うわけだが、むりもないところもある。
病院の経営会議などに参加していると、たしかに、「医者がいなければ全く成り立たない部分」というのがよく見えてくる。
そう、お金の話だ。
医療にはドチャクソ金がかかるので、お金をきちんと回転させることを考えないといけないのだが、このとき「医者が回す金額」がほかの職種から比べると桁違いに高い。
少なくとも病院というハコの中で患者のケアをするためには、ハコを存続させるために医者が稼いでくる金が必要になる。
しかし。
本来の医療は、将棋ではなく囲碁に例えるほうがいい局面が多い。最近よく感じる。
「現場のコマ」を金銀系恐怖、じゃなかった金銀桂香歩で例えていると、ときどき「そこまででもないなあ」と思うことがある。
看護師にしかできない仕事が山ほどある。
ケアの場面でいちばん縦横無尽に盤面を移動するのがソーシャルワーカーということは多い。
患者に決定的な安心をもたらしたのが薬剤師のひとことだった、とか、言語聴覚士の気づきによって患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が劇的によくなった、とか、そういうことがめちゃくちゃいっぱいある。
医療は囲碁だ。
コマどうしはみんな同じくらいよくがんばっている。
コマをどう配置して、ヤマイや患者のクルシミが陣地を広げようとするのをどう抑え込むか。
少しだけ先を読みながら、コマ同士の連携をいつも考えて、盤面にキュアとケアの陣地を広げていくような取り組みなのだ。
「あそこに置いたのはいい手だったね」は存在する。しかし、「あの碁石」も「この碁石」も、持ち上げて比べてみればそこに差はない。
大事なのは連携によってカバーする領域を広くしていくことなのだと思う。
……まあ、お金の話については、将棋の考え方をしたほうがスッと腑に落ちるところはあるのだけれど……。
実務は囲碁的であるとわかっていないと、なんというか、盤面全体を俯瞰して患者に足りないモノを提供するという姿勢が失われると思うのだ。
そして医療情報を扱う際にも、おそらく囲碁的な考え方が有効なのではないかと最近よく考える。
誰かが飛車角となって八面六臂の情報発信をする、というのは、たぶん効率が悪い。
龍王ひとつで王を延々とおいかけているようなイメージだ。
というか、そもそも医療情報の盤面には「敵の王」がいない気もする。
ぼくは碁石なのだ。どの碁石と手を繋げばどこまで陣地が広がっていくのかを考えて、盤面のどこに自分を置いたら一番効果的かを考える。盤面には大量の碁石を置く必要がある。それは自分である必要すらないが、自分をコマの一つとして活用する権利はある。