山際の向こう、2秒の先に(8) ぼくはもう映らなくていいのではないかと思った
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おかざき真里「空海と最澄を描くにあたって、絶対自分で、わかったつもりにならないようにしよう、と。
最初から最後まで人間はわからないんだ、という弘法大師さまの言葉にならって、『わからないほう』にドラマを進めよう、と。
ちょっとでもわかるとおもったらそれは避けよう、と。」
たられば「ほおおお」
【医療と和尚の、あうんの呼吸。(3時間56分20秒~)】
……14時15分。
札幌市中央区、札幌厚生病院病理診断科、主任部長デスク。
病理医ヤンデルは、あわてていた。
東京スタジオの音声は聞こえる。ソニー製4Kカメラで映し出されたぼくの姿も、きちんと東京スタジオに表示されている。LiveUも正常に稼働している。会場中継Zoomでも、YouTubeのライブ画面でも、向こうの様子は、ライブ感抜群、ぼくに伝わってくる。
しかし、ただ病理医ヤンデルの声だけが、東京スタジオに届かない。
司会のたらればさんも、あわてていた。台本では、病理医ヤンデルが、この座談会の口火を切るはずだったからだ。
漫画家・おかざき真里先生。
トラブル下において、東京スタジオのメインゲストは極めて冷静。
即座に「たらればさんと私でこの場をつなぎましょう」と宣言、前を向く。
スタジオ各所に素早く目線を放っていた犬はぴくりと静止し、言葉を待つ。
(※お怪我にも関わらずご出演頂きました。)
稀代の名著『阿・吽』。その表紙を一枚めくり、
生老病死という「でかすぎる」テーマの鏑矢として、おかざき先生は、
弘法大師・空海のことばを引用した。
生れ生れ生れ生れて
生の始めに暗く、
死に死に死に死んで
死の終わりに冥(くら)し。
阿・吽の阿(あ)とは、すべてのはじまり、すなわち生の始め。
吽(うん)とは、終わり、すなわち死。
始めも暗く、終わりも冥い。阿から吽までわからないということ。
そうか、「あうんの呼吸」は、現代の用法としては「わかりあうこと、通じ合うこと」を意味するけれど。
空海は、「阿から吽までわからない」と言ったのか。
『阿・吽』を間において、ぼくらはこれから、「わからないということ」を語るのか。
おかざき先生は続けて、「死をおもう」ことの難しさについて述べた。
「私たちの世代……80年代終わりから90年代って、死の臭いがしない世代、死の実感がない世代という言われ方をされていました。カルチャーの中でも、『メメント・モリ(では、死を想え)』のような言説が多く語られたころです。」
「ご老人と暮らしているわけでもないし、核家族化してすでに2世代、3世代と経過している、生老病死と離れたところで日常が行われている世代。」
「そんな私にとって、一番わからないものが、やはりこの『死』。」
「これまでに仲の良い友人を亡くしたりもしましたが、死については実感がもてないままです。」
これを仕太刀として受けるは、
高野山の英才、
飛鷹全法和尚。
呼応する。
「私も、おかざき先生とはほぼ同世代……日常で死を実感することは少なかった世代です。」
「たとえば戦争の映画などをみても、完全に『色がない』。過去の記録に過ぎない、自分たちと関係があるという実感が持てない。近代における社会自体が、死というものを隠蔽する社会であったということが言えると思うんですね。」
「おかざき先生が描いてくださっているような、8~9世紀の宗教者たちが、その時代の大きな問題、越えられない人間の死という大きなテーマにどう切実に向かい合ってたかっていうのを」
「今の我々が肌感覚でわかるってことは……。想像力がそうとうたくましくないとわからないことなのではないかと思います。」
「僧侶ならば死を語れるかも」
なんて、ぼくの短絡的なスケベ心が、渦を巻いて流れていく。
飛鷹和尚は波濤のような口調。
「日本最大の霊場に多くの方々がお参りいただくようすを見て、
死や魂というものを人々がどう扱っているかについては日々考えている、
けれども……」
と、すっと脱臼させる。脱輪させる。路傍の花に目をやり、足を留める。
「私は死をこういうものだと考えている」とは、
とうとう、おっしゃらなかった。
***
東京と和歌山に、それぞれ、役者が揃っていた。ぼくはそれをひとり画面越しに見ていた。
視聴者と同じように?
いや、それよりもう少し、宙ぶらりんだった。
もっか緊急事態だ、ゆっくり見ていられる立場ではない。登壇者のひとりがいまだに参加できていない状況なのである、おまけに東京のスタジオや京都の中継先と違って、札幌にはぼく以外にスタッフがいない。もしトラブルの原因が、ぼくの目の前にあるこのカメラだというならば、ぼくがなんとかしないといけない。でもこのカメラ、きっと、ぼくの腎臓より高いやつだ。おいそれと触るわけにもいかない……。
「医療と和尚の、あうんの呼吸。」と名付けたセッションで、「医療」が断絶されている。
ただ、ぼくはこのとき。
なぜだろうか、
「このまま融けて空気になって、飛鷹和尚とおかざき先生と犬のやりとりを見ていれば、ぼくは医療者として、とても大事なものを手に入れることができるのではないか」
という、どこまでも自分勝手、自分本位、自己中心的な気持ちが、もうどうにも抑えきれなくなっていて。
これまでさんざん「医者として」しゃべってきた。
何年もツイートをした。毎日ブログを書いた。YouTubeでニヤニヤと40男のアホづらをくり返し晒してきた。
医者として。
医の側として。
生老病死のほとんどを、ぼくは「わからない」ままに。
「病」をこねくり回している。わかったふりをして。わからないと言わずに。
黙ったらどうだ。
YouTubeの画面にぼくが映っている。
わかりやすく口をパクパクさせながら、いかにもトラブルだという、あわてているという動きを少しだけする。
スタジオに申し訳ない気があったし、視聴者にも「ハラハラしてほしい気持ちはある」。
電話を手に取ってみたりもする。実際に電話もかかってきたから、出る。
あまり動くと画面の邪魔だなあ、なんてことも考える。
コメント欄も見える。Twitterも見える。
SNS医療のカタチアカウントにログインしてツイートしてくれていたシャープが、こうツイートしているのが、見える。
まずは君が落ち着け……。
そうだね、そう思うだろうな。
けれどもぼくは、この会話をこのまま聞いていたかった。
わからないままに。落ち着かないままに。
このままセッションが終わることを夢想した。
もっとも、このときの気持ちは、スタジオで冷や汗をかいていた犬やスタッフたちにはこれまで一度も伝えていない。だってかわいそうで。
「あそこでつながらなかったらよかったのにね笑」
いやいやいや、さすがに失礼だろう。みんな必死でぼくをスタジオとつないでくれたんだ。
だから、これまでナイショにしていた。「つながらなくてもよかったのに」ということは、今日初めて書く。
どうせみんな忙しいから読んでないだろう。
過去と未来が円錐の頂点でスパークしたのはあの日、あの瞬間。
「コミュニケーション・エラーを扱うイベントで、自分がコミュニケーションできない状況」が、おかしくて仕方なかった。
ひとり、蚊帳の外に……。
いや、蚊帳の外であれば、少なくとも中から見通すことはできる。ぼくがいるのは、蚊帳ではない。もっと、中の人からはどうやっても見えないようなところ。
ぼくは今、「山の向こう」に居るんだ。
***
スタジオの声と動揺。向こうの声は聞こえる。こちらから語りかけるすべはない。
「2秒のタイムラグよりもはるかに深刻な……。」
筋萎縮性側索硬化症(ALS)における「完全閉じ込め症候群」のことを思う。
知覚は生きており、世界の情報は伝わるのに、手足も表情筋も眼球さえも動かせなくなり、こちらの意志を外部に伝えられなくなった状態。
「生」あるいは「病」の中にあって、もっともコミュニケーションが難しくなった状態。
「それに比べれば今のぼくはまだ……」
絶対自分で、わかったつもりにならないようにしよう
ぼくは、新型コロナウイルス感染症禍において患者の面会が禁止されたホスピスで、感度のよくないWi-Fiの下、付け心地の悪い片耳イヤホンを気にしながら、iPadで会話した友人のことを思い出した。
「直接会えないのはつらいけど、ネットでつながることができたんだから、まだよかった。」
やさしい医療情報を、わかりやすく伝えようということで、
4人の医師が集まって、それぞれが思う『やさしい』……
『これがやさしいんじゃないかと思うこと』
を伝える活動をやってきたんですけれども、
ここまで、SNS医療のカタチTVを実現するために動いてきた、多くの人々、……と鳥と畜生……の顔を思う。
「生老病死でいうとね、ぼくは、病理医ですから、病を担当するんですけれどね、たとえば生きるということ、老いるということ、さらには死ぬということ、そういったものを、セッションで扱って、ぼくという医者側の人間と……まあほら、衝突とかさせてみたら、おもしろいかなーって思ったんですよね。」
……ぼくはもう映らなくていいのではないかと思った。
そのとき、スタッフの尽力により、とうとう音声が回復した。
病理医ヤンデル「……聞こえていますか」
たられば「聞こえてるよぉー! ああーこんなに君と話すことがうれしいなんてのはぁー、これまでなかったねぇー(笑)」
病理医ヤンデル「それは! よかった!」
山際からかけおりる。
自分の精神をにらみつける。
ずれとすきまの場に立つ。
「いやだな」。しかし、よし、やろう。
(続く)
(2020.9.2 第8話)
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