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ポジティブな意固地

西野氏

これを書いているのはnote公開の前日(1月6日)。東京では雪が降っているようです。ツイッターのタイムラインがざわついています。スマホを持って楽しそうに外に飛び出してはいけません。転ぶから。スマホを持って転んだら、それこそ別の世界に紛れ込んでしまうかもしれないから。



いただいたお手紙にマトリックスの話が出てきましたね、そういえば長いこと見ていないなあと思い、Amazonプライムビデオのトップページを探りに行きました。そしたら、これまで見かけなかった「攻殻機動隊シリーズ」が一部見られるようになっていたので、おどろきました。

ああ、これで、ついにぼくも、攻殻機動隊の話ができるようになります。

これまでは未履修でしたからね。ようやく見る機会がおとずれた。

これまで、いろいろな人に「お前は攻殻機動隊を見た方がいい」と言われるたび、「アマプラ以外のチャンネルを契約してないから、アマプラで見られるようになったら見ます」と答えて逃げ続けてきました。よう(牧野曜)先輩に至っては、『イノセンス』を見ろと、作品の指定までしてきます。調べてみたら、『イノセンス』は攻殻機動隊の第1作ではないんですね。途中から見ろだなんて、どういう意味なんでしょうか。スターウォーズにしろ、ドラえもんにしろ、「まずは○作目」「おまえに合いそうなのは○作目」などと細かく指定されると、うるせえ、普通に公開順から見させろや、という気分に……

までは、ならないですね。別にいいかなって感じ。

ここは言われたとおり、『イノセンス』、見てみましょう。せっかくなのでね。


ところが、いざ『イノセンス』を見てみようと思ったら、アマプラにはまだ収録されていませんでした。『スタンドアローンコンプレックス』など、攻殻機動隊の別シリーズを見る選択肢はありますが、なんとなく、「アマプラにイノセンスが追加されるまで、攻殻機動隊は一切見ない」という決意をしました。

なので、結局、まだ見ていません。

どういうこだわりだよ、と言われても、理由は特にありません。

「せっかくここまで見ないで来たのだから……」

という気持ちって、うまく説明できないです。


***


「サンクコストバイアス」という有名な言葉がある。

たとえばギャンブルで、負けが込んでいるときに、「ここで引き下がったら、注ぎ込んだお金が無駄になってしまう」という気持ちになって、さらに無謀な挑戦をし続けてしまうことがある。UFOキャッチャーなんかでも経験される。

かけてきたコストがもったいなく思えて、意固地になって行動を変えず、結果的に損をしてしまう心の傾向……。

ああ、人間ってそういうとこ、あるよなー、という感じ。日本語で言うと、「意固地」だろうか。

ただ、これを「バイアス」と呼ぶことについては、かねがね、「本当にバイアスと呼んでいいのかな?」と疑問に思っていた。


「株の損切りがヘタな人」を説明する際など、サンクコストバイアスはべんりな概念だ。でも、さっきの私は、べつに、「攻殻機動隊を見ないほうにベットし続けている」わけではない。ぼくのさっきの気持ちをもう少し丁寧に掘り進めると、「このまましばらく『見ない自分』でいることで、周囲の反応をもう少し楽しもう」という心情が顔を出す。

べつに、バイアスのせいで、この先のぼくが損をするとか得をするとか、そういった類いの話ではないように思う。

「意固地になって損をする」というのは小説やドラマなどで描かれまくってきた、物語の類型だ。それ、偏っているよ、是正したほうがいいよと、バイアスをまるで回避すべきことのように語るシーンを多く見る。

でも、人間の脳の中には、「意固地にたのしむ」という傾向もひそんでいるのではなかろうか。損得以前の、もう少し緩い、ポジティブな意固地。前と変わらぬありようを満喫する、という脳のクセ。バイアスと切って捨てるほどネガティブでもなくて、サンクコストテンデンシー、あるいは、サンクコストアティチュードとでも呼べるような。

同じことを続けているだけで、ある程度、報酬回路が稼働するよなあと思う。このシステムを回し続けると、とりあえず、「昨日と同じ自分」は担保されるのだから簡便でいい。

脳は進化の過程で、あえて頑なな部分を残した。それを、株で損をしたくない、などという「偏った場面での損得を考えるため」だけに、バイアスという言葉でネガティブにまとめてしまってよいのだろうか。


ぼくがあれこれ理由をつけて、攻殻機動隊シリーズを見ないでいることは、ポリシーがどうとかオリジナリティがどうとかいう壮大な話ではないし、かといって「見ないでいると、人生損するよ」とか言われる筋合いもない。なんとなく、昨日までの自分でいいかあ……と、ライトな意固地で軽く楽しんでいるだけなのである。


最近インターネットで見る「バイアス」という言葉は、ほとんどが、自己啓発的な場面で使われる。「こういうバイアスがあるから気を付けろ」「バイアスを取り除く努力をしろ」。サイエンスならそれでいいけれど、人間の、脳の、名状しがたいsolitudeな部分を説明する上で、あまりバイアスという言葉に頼りすぎていると、脳が仕込んだホメオスタシスの仕組みを過小評価することにならないかなあ……なんてことを、新年に考えていました。

今年もよろしくお願いします。


(2022.1.7 市原→西野)