3月のライオン大好き侍と申す

シャイナさん:

アッペンデックスのキキは、ぼくの記憶のかなたではシャイナさんにぶっとばされていたのですが、あれはシャイナさんじゃなかったんですか……なるほどそうか……。

読み返そうにも何巻なのかも覚えていない。小学校のころ、誕生日プレゼントに「流行っているマンガの最新刊を送る」というのが流行っていたと思われ、聖闘士星矢も、キン肉マンも、ちびまる子ちゃんも、1巻はもっていなかったのに途中の巻だけ持っていた。というか当時のぼくにはそもそも、マンガをやりとりする程度には友達がいたんだな。


書籍のAppendixって誇りのカタマリなんだなあ、そうとう納得した。索引つくるのって大変だ、とか、付表はすごい校正の手間がかかる、みたいなことをちらほら耳にはしていたけれど、プロがどこに手間をかけて、どこに心血注いでるかって、聞いてみないとわかんないし、いざ聞いてみるとすごいおもしろいですね。普通の1章以上に手間がかかるってのは、(なんでかわかんないけど)その話知る事ができてよかった。今後の読書がはかどります。

(でも最近、成書の通読があんまりできなくなっちゃった。シュロスバーグ1/3も読めてない……体力が落ちてる。)


さてと前回いただいたお手紙で、おっ、と思ったのはココ。

両輪,といえば,ある考え方やメソッドが広く浸透したあと,揺り戻しのように対極的な考え方が流行る現象を興味深くみています。最近おもしろいと思ったのは,営業・ビジネス界隈の思考法が,従来の「デザイン型」から「アート型」にシフトしているという話です。

この揺り戻しみたいな感覚、デザイン型とアート型みたいな戦法が時代とともに一方に偏ってまた戻るやつ、わかりますわかります。ぼくの中ではこういう戦法の移り変わりみたいなのはシーソーっていうか将棋盤のイメージですね。両輪っていうより、それこそ反駁しながら高め合っていくというか……。名勝負数え歌みたいな感じといったらいいのかな。こんなこと書いたことない、はじめて書く。

ぼくはぜんぜん将棋のことよくわかんないのに最近将棋のたとえをよく使う残念な中年男性なんだけど、ビジネス界隈を岡目八目的に眺めている心象風景としては、片方が四間飛車に振ったからもう片方は居飛車から船囲いに組む、みたいに、彼我がせめぎ合う中で戦法が洗練されて、お互いの隙をつきあっているうち、視聴者からするとしびれる盤面が形成されている、みたいな感じです。たのしい。たのしんでる場合か。


……と、今ちょろっと書いてみたように、現状起こっていることを、抽象化したまま例え話ですすめていく語り方がありますよね。ちかごろ、セミナーとか有料のnoteブログ内などでよく見るんだけど、こういうのって、読者からするとわかったようでぜんぜんわかんないから、実は元々ぼく嫌いだったんですよね。

一つ一つの現象をクローズアップして丁寧に語ることをせず、群像劇で動いてる現象の総和をロングショットで撮って、すでに語られている別の現象をあてはめながらぼんやりと類似点を探していく遊び。

なんだろう、全く違う世界のハナシなのに個別の因子が似たような条件反射を示して動いていることがありますね。

こないだとある人のツイートで、「原子核と電子の関係と、恒星と惑星の関係が似てる」みたいな話を、「神は同じ構図ばかり使う」と言い表している人がいました。あーわかるわー。クライアントに怒られるんだそうです。「またこの構図ですか?」神かわいそう。

でも結局、物理とか医学とかの理屈って「構図が似ているものだらけ」なので、例え話しほうだいなんですよね。ぼくも立派に例え話大好きおじさんです。群像劇語りするためにはクローズアップ現代とロングショット現代と両方必要じゃん、みたいなことばっかり言ってる。さっきも別のブログに書いた。イキリ感がすごいな、またエリックに怒られる。

情報とか商売とか、人情とか、流行とか、そういったもの、他因子関与の複雑系は、得てしてエントロピー的にとらえることが可能だし、カオスとフラクタルの話もズボッとはまる。人間の頭や目では追い切れていない因子を、追い切れないままひっくるめてしまって、現象の最大公約数的な部分を別次元で表現したほうが、かえってラクだったりする。

例え話が好きな人ってそもそも理系思考と相性がいいのかもしれない。法則、ルール、共通点と相違点、そういうとらえかたをするからね。


でもそういう語りが、普遍的で人に寄り添えるものかどうかは、また別の話だとは思うんだけど……。

(2019.9.3 キキ→西野)