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どっちもほの字ではじまる

にしのし:

そうでしょ、『マンガでわかる! 子どもの病気・おうちケアはじめてBOOK』いいでしょ。ほらー。これ絶対いい本だよぉー。こんなに他人の本のツイートばっかりしてていいのかなってくらいツイートしました。

歴代の編集者が怒り狂っています。「自分の本」を売れと。でも今のぼくは、自分と世界の境界線をとろけさせて、「lessnessがゆるく集合した知性」がもたらす医療やケアに一番興味があるんですよね、だから世に出てるいい本はぜんぶぼくの本だと言っても差し支えないわけです。かんぺきなりくつだ! 印税は入らないが!

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そういえばこないだ佐渡島さんと会って話した。内容はたぶんそのうちどこかにまとまる。筋肉がライターとして参加してたので安心できますよ、おまちください。

で、その会話の中で、まあ流れの中の小ネタではあるんだけれども(だから対談原稿に採用されるかどうかすら不明)、経営者って決断する仕事だと思ってたけど複数の状態を抱え持ったまま保留するタイプの決断もあるんだ、みたいなことを、言葉巧みに佐渡島さんが言ってて、あーわかるわかるーってなった。その場では。

これ、思い出して書いてみると、ニュアンス全部伝わらないかもしれない。思ったより難しい話だなあ。

「あえて決めない。可能性を狭めない」って言って経過観察することは、戦略を持ってやるなら度量の広い経営者って感じでかっこいい。けれども、弱くて逃げちゃうから決定できない状態と、どう違うんだろう。

『魍魎の匣』の終盤,
「幸せになるなんて簡単だ,人間をやめればいいのさ」
というような台詞がありました。

読んだ当時は「人間をやめる」=「常識を外れる」という意味かとぼんやり思っていましたが,もしかして「思考放棄すること」かしらと(今更ながら)最近は考えるようになりました。

幼い時分,親がすべてだった頃,自分で物事を考えず評価基準は他人に任せた状態は,とても楽で,幸せなことだという原始体験をもっているせいか,「考えたくない/誰か決めて」という誘惑は,常にわたしのそばにあります。

決定しないままに何かが進んでいくことがラクで幸せなことがあり、一方で、決定しないままで何かが進んでいくことが耐えられないことがあって、これらは単純に対立している概念ではなくて、どうも、時間経過とともに前者が一方的に後者に変化していくきらいがある。

一部の人は意図的に、

「いやー大人になってからもさ、意外と、保留のままでも行けるもんだよ」

みたいなことを言い出して、それが妙にかっこよく、悟ってるように見えちゃったりする。

そういえば、思考放棄と思考保留は違うのかなあ。

なんだかうまいこと言いくるめている、言いくるめられている、ようにも思うけれど。


ねえねえそういえば『意味がない無意味(千葉雅也)』読んだ? あれめっちゃおもしろかった! 何言ってんのかぜんっぜんわかんねぇのに読み終わるとちょっと風景が増えるの! うけるわー、あなたと、あと医学書院のMに読んでもらって感想を聞きたい。ぼろっカスに言うのか、めちゃくちゃいいって言うのか、いずれ教えてください。いそがないよ。大変だったもの。あれ読むの。

(2019.11.14 市原→西野)