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正味で生きていればこそ
にしのし:
ショック
はずるい、噴き出してしまった。
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そういえばおかげさまで、『読んでいない本について堂々と語る方法』現着しました。ありがとうございます。
いいですねー、表紙折り返しの著者プロフィールにあった過去の作品の中に、『アクロイドを殺したのは誰か』(大浦康介訳、筑摩書房)という書名が出てきてまた笑ってしまいました。エスプリゴリゴリの著者なんだべなーととても興味を惹かれています。
おすすめいただいたとおりに、このあと「あとがき」から順番に読み進めようと思います。あとがきから本読むことってあんまりないから、新鮮。
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フィニアス・ゲージ氏のWikipediaについては以前に読んだことがあって内容も覚えていた。ただ、「その後社会復帰をした」の部分は、確かにこれまであまり気にしていなかった。
あなたのおっしゃるとおりだ。今あらためて読むと「うむ……」となる。前頭葉を失ったら性格が変わる、というびっくり現象に気を取られていた。世界仰天ニュースとかに出てくるのもたいてい、性格が変わった、までの話だ。これもきっと誇張があったんだろうな。
「脳の一部を失っても、生き延びればそのうち性格が元に戻ることすらある」
これはちょっとすごい話だなあ。近年言われた脳神経の可塑性(神経細胞が復活すること)よりもインパクトはでかいかも……。脳は、残されたネットワークを使って、少なくとも「温厚な性格」という部分についてはリカバーできる場合がある……。
いやー、性善説信じたくなるなー(?)。
そういえば昔考えたことがある。
ぼくは病理医なので、大脳の解剖もたまにやる。脳の細胞を顕微鏡で見ていると、皮質・髄質の差はわかるし、小脳や海馬くらいだとルーペで見て区別がつく。ただ、「大脳新皮質同士」を写真で見せられて「これは前頭葉でしょうか? 後頭葉でしょうか?」とクイズを出されても、わからない。
脳のあちこちを顕微鏡で見ても、ニューロンもグリアもとくに変わりがないからだ。これらには場所ごとの区別が一切ない。
ぼくが脳神経病理にあまり詳しくないから? うーんそういうことでもないと思う。
たとえばぼくは、頸部リンパ節と腋窩リンパ節と鼠径リンパ節はなんとなく見分けがつく。血管の様子とか、マクロファージの含まれる度合いとか、周囲の線維化とかを見比べればなんとなく。
あと、皮膚生検の検体をみて、それがどこらへんの皮膚から採られたか、も、正答率40%くらいで許されるならそこそこいける。足の裏は楽勝。お腹の皮はびみょう。ひじの外側とかだとうーん、わかるときもあるかな。
胃はかなりわかるよ。幽門に近いか、噴門に近いか。あと小弯に近いか大弯に近いかもなんとなく。大腸もそこそこいけるかな。
でも……脳はわからない。
ニューロンは、どこもだいたいいっしょ。そりゃあそうだよね、神経活動で大事なのはシナプス(電線)じゃなくて、そこを流れている電気情報なんだもの。ひとんちのLANケーブルとうちのLANケーブルが違う規格で出来ているわけがない。うん、これまではそうやって理解していた。
でもぼくは内心、不思議だったんだ。
指先を動かす部分と、おなかを動かす部分と、まぶたを動かす部分と、舌先を動かす部分。もしこれらが本当に脳の中にあらかじめ「マッピング」されているというのなら、進化の過程でもう少し、場所ごとにニューロンやグリアの配置や形態、機能が最適化されてもよさそうなものだ。
回線だって場所ごとに進化の過程で高速化したり、逆に抑制がかかったりしてもよかったではないか。
大腸の陰窩すら、上行結腸と下行結腸で微妙に変化させるほどに分化をコントロールしてきた人体ともあろうものが、脳神経においてはこれほどまでに均質に作っているというのは、やっぱり異常……というか。
異常というかこれが合目的なんだろう。つまり脳は、「全体がスムースにやりとりをし続けること」のために最適化している気がするんだよ。
想像をふくらませる。
社会に何か重大なできごとが起こる。社会を脳にたとえたとしたら、前頭葉くらいのボリュームが、なにかのせいでごっそり失われてしまったとする。
そもちろん社会は機能不全に陥る。ダメージをずっと引きずる。それでも人々は、失ってしまった部分の仕事を、不慣れながらも肩代わりしながら、なんとか社会を元のように……元通りにはならないかもしれないけれど……また円滑に回せないだろうかと、必死でやりとりをくり返す。新たな伝達ルートを模索しながら、ネットワークを再編する。
「思考伝達のけもの道」をいちから踏み固め直すべく、蠢いている社会は、「事故直後のフィニアス・ゲージ」のように、がらっと性格が変わって見えてしまうかもしれない。
でも、いつかは社会もまた元のようにおだやかな性格を取り戻すのだろう、なんとなく、そういうことなんだろう。「元」があれば、の話だけれど。
(2020.3.12 市原→西野)