見出し画像

誤読の正体

マエダさん


いただいたお手紙を読みながら1か月ほど考えていました。

まず思ったのは、以下のようなことです。


(すべての文章にお返事が書けるなあ……。)



アガンベンの偶然性についての話を、『急に具合が悪くなる』(宮野真生子、磯野真穂)や、カトリーヌ・マラブーのこれから読もうと思っている本と照らし合わせながら、広げていくのはおもしろいだろうなあ、とか。

「再読でも難しい」と「二度目でも良い味」とは両方とも、とても幅広いニュアンスがあって、いい話題だなあ……とか。

『〈ジャック・デリダ〉入門講義』(仲正昌樹)は、ぼくは挫折したんだよなあ、とか。

胃に重い物とラムネの対比は目に浮かぶなあ、とか。

「どう考えるか」よりも「何を考えるか」のほうが面白かった。そもそもの思考とか考え方への興味よりも、空想とか想像への興味が強くあったのです。

↑ ここ、最高にぼく好みでした。ちなみにぼくはわりと、「どう考えるか」の部分が好きだったりもします。

そして。

哲学の表象としての小説。

集まれる場所。



ああ、いいお手紙だあ。

ひとつひとつのフレーズに反応すべく、さっそくキータッチを始めました。

ただ、何だろう、文章ごとに「>」で引用してお返事をするような、「メールスタイル」だと、何か違うなあ……という気持ちが、今回に限って湧いてきたのです。なぜでしょうね。

途中で手を止めて、あらためてゆっくりお手紙を読み直しました。すると、あるイメージが思い浮かびました。



マエダさんが書かれた一文一文は、「横糸」なんだ。

その横糸は、マエダさんの頭の中に走っている何本かの縦糸に導かれて、織り合わさっている。

横糸という名の「文章」を、ぼくは一本一本取り出して、「はあーこれはいい糸だなあー」なんて、お返事を書こうとしていた。それはそれで、糸の美しさに触れることができて、楽しいものだけれど。

しかし。

「複数の横糸をたばねている縦糸」

にも思いを馳せることができる。

あるいは、もっと引きの目線で、「編まれたタペストリーそのもの」をじっくり考えたりすることもできるなあ。



今日の「布」は絶品。

肌触りのいい脳内風景、といった感じ。

これで何かを「包んだら」、さぞかししゃれているだろう。

壁に飾るのもいい。テーブルに敷くのもありか。

前回のあの布に対して、今回の布はリンクしている。並べて部屋に飾ったら、訪れた人はきっと、両方を見比べてすごく多彩な感情を抱くだろう。

近寄って目を近づけてその精緻さに驚き喜ぶこともできるけれど、手に取って、あるいは壁に貼って、ぼんやりと眺めていることも楽しい……。


お手紙ってそういうところがあるんだと、今回はっきり思いました。

いや、多くの人はとっくにご存じだったことなのかもしれませんが。



これまでマエダさんが読んでこられた本、体験されてきたできごと、もやもやと考えられてきたなにものかが、あるとき「縦糸」になり、「道糸」になる。そこに織り込まれた「横糸」は、縦糸に導かれるものでもあり、同時に、縦糸をしっかり支えるものでもある。



お手紙って布だったんですね。

そして、本もきっとそうだ。



これまでのぼくは、どんな文章でも、とりあえずバラバラにほぐして、一文一文にお返事するイメージで「解釈」を試みていました。自分の物語に照らし合わせて、「わかる」を目指していた。

でも最近は……自分ではない人がどのように世界を「解釈」しているのかを、ただ総体として感じていたいときがある。

そういう本を最近好んで読んでいる気もします。まあ、難しくてわからなくて、ページをめくっただけで「読み終えた」とうそぶいている哲学の読書に、都合のいい言い訳を与えているだけなのかもしれませんが……。



自分がもやもやと感じていたものを、他者が言葉にして編み上げているときに、「はあー、うまい言葉を使ったもんだなあー!」と感動しつつ、その裏にある……というか、縦糸として存在している、著者の思想背景、あるいは著者がそれまでの間に歩んできた道のりなどに思いを馳せて、

「そうか……この縦糸があるからこの横糸なのか」

などと考える、感じ。




「ああ、これを〈不可能なもの〉というのかなあ」とか「ぼくにとっての〈対象a〉とはあれのことだな」とかってなるのが面白いのです。(概ね誤読だし誤読で良いとも思っています)

これ、めっちゃくちゃにわかるんですけれど、今日のぼくは生意気にも、ひとつ反論します。

「誤読」じゃなくて、「縦糸が違う」んじゃないかな、って思ったんです。

というか、逆かな、「縦糸が違うところに同じ横糸をあてはめること」を、広い意味で「誤読」と称しているのかな……?

あ、そうか、だから、「誤読で良い」んだ。

なるほど。

反論じゃなくなりました。すみません。笑




「縦糸が違う人々」の書いた横糸にぼくは感動したり突き動かされたりします。

最近、このことを「翻訳」と掛け合わせて語っている人の本を読んでいます。『翻訳――訳すことのストラテジー』(マシュー・レイノルズ/秋草俊一郎 訳、白水社)。

この本について、一晩語れそうなんですが、送ってくれた西野マドカにまずは感想を送りたい気もします。なので、マエダさんには、ご紹介というか、おすそわけだけ(笑)。


(2020.12.28 市原→マエダさん)