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さよなら、ブラック・ジャック(4)交差する視線と失明する病理医

こちらの記事(↓)の続きになります。




けいゆう先生が選んだエピソードはこちら。

フェイクバスターズ・バスターブルー選エピソード(抜粋):
主人公は医療者(作業療法士)。資格を取ってからはじめて担当した患者に、「感謝されなかったこと」が今でも忘れられない。
現場の医療は教科書の通りにはいわず、患者からは先輩医療者をほめる言葉ばかり聞かされる。
その患者が退院するときにも、自分に宛てた感謝はなく……。
「作業療法士は黒子だ」という先輩の言葉を思い出す。ここがスタートラインなのだろう。

「選考理由」を尋ねられたバスターブルー(予想)は、会場のスクリーンにこのようなコメントを載せた。

患者さんに「ありがとう」と言ってもらえることに憧れを抱き医療従事者を目指す方は多いと思います。
かく言う私もそうでした。でも経験を積むうちに、その思いは傲慢であることに気づきます
患者さんの幸せのためにチームの一員として力を尽くしたと思うことができれば、それだけで十分。
そのためにコツコツ努力したい。
そう悟った日のことを思い出させてくれるエピソードでした。

医療者がありがとうと言われなかったことを気にして、何年経ってもふりかえってしまうというエピソード。

ぼくはまず会場でこれを目にしたとき、思った。



「っかー、これ選んじゃったかァー!」

(リンク先「すなお」を参照してください)



もちろんぼくもこのエピソードは読んでいたのだが、「っかー!」としか思わなかったし、全然選ぶ気が起きなかった。

だってこれって、医療者にありがちな「感謝されたい症候群」じゃん。

ぼくは日頃、医療現場で働いてはいるが、患者の体の一部(しかもホルマリン浸漬後)しか見ていない。だからそもそも患者に会わない。従って患者に感謝されたいというモチベーション自体が存在しないので、多くの医療者が口にする「患者のありがとうがぼくの心の支えです」がいまいちピンとこないのである。

冷酷? ゴルゴ? 紺先輩? なんとでも呼ぶが良い。

感謝がねぇと医療やってられねえってか! っかー! はなったれがァ!

それくらいの気持ちでいたのだ。


しかし、バスターブルー(予想)は、スクリーンに選考理由を投影しながら、こう言った。ぼくはこれを聞いて膝から崩れ落ちそうになった。


けいゆう「このエピソード、大好きなんですよ」

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ぼく(ウッ、イケメン……)

けいゆう「ぼくもね(イケボ関西弁)、医者になったころは、患者のありがとうを全身に受け止めるようなね、そういう医者になりたいなーなんて思ってたんですよ。でもね。」


けいゆう「現実にね。治るのは患者の力なんですよ。医療従事者はそれを手伝うことしかできないんです。」

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ぼく(ウワッ……光が……!)

けいゆう「患者はずーっと毎日病気と戦っている。でも医療従事者ってのは、週1回とか、2回とかしか手伝えない。入院して毎日顔を合わせるとしても、1日のうち、ちょっとの時間だけです。あとは患者ががんばっている。患者自身ががんばっているのを、ぼくらはサポートするだけにすぎない


けいゆう「エピソードの最後にね(イケボ関西弁)、スタートラインに立てたってのが、いいじゃないですか……。」

ぼく(アア……)

けいゆう「病は気からとも言いますが、患者さんの意欲をどう高めるか。それも医療従事者の大事な仕事です。これからはもっと、黒子でありながらも患者の気持ちを前向きにする手伝いをしたい、という思いが強く感じられた、だからこのエピソードを選びました。」

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ぼく「ギャアー!(病は気からに対して「住まいは木から」とボケるヒマもなく目がつぶれる)」

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【さよなら、ブラック・ジャック(4)交差する視線と失明する病理医】


あとからふりかえっても、山本健人の選んだエピソードは、ほんとうに、マンガ、ドラマ、映画などいろいろな媒体で見てみたいと思わせるものだ。

ここまで、堀向や大塚は、患者視点のエピソードを選びながら、そこに自分たち医療者の目線を交錯させた。

そうすることで、医療という舞台に立つ多くのアクターたち(患者、その家族、関わる医療者など)の、それぞれの立ち位置や視点を立体的に語ってきた。

これに対して、山本が選んだエピソードは、一見すると医療者目線に限定している。しかし、医療者がときにエゴイスティックに公使しがちな視点を鋭く裏返すものだった。

これは、「なんだよ、感謝されて何がうれしいんだよ」と単純にひねくれたぼくよりも、よっぽど医療の多彩な側面を照らしている。

「患者に感謝されたい」と思うのは当たり前だと思う。

おなじくらい、「感謝されるために医療をやっているわけでもない」といじけるのも当たり前なのだ。

その、当たり前と当たり前が衝突して波しぶきが立つ一瞬を、シャッタースピードを調節しながら美しく切り取ったエピソード。

医療をめぐるさまざまな立場の人が「○○したい」「○○されたい」と本気でぶつかっている様子がじわじわ立ち上がってくるではないか。



ちなみにぼくはひねくれているから、エピソードの選び方もひねくれていた(エピソード自体がひねくれているわけではない)。

ヤン選エピソード(抜粋):
主人公は新人看護師。余命いくばくもない患者を担当した。患者の希望で、タンを吸引する処置の際には、家族も部屋から出て欲しい、という話を守り、この日もタンの吸引の際に家族に部屋を出てもらった。
家族を部屋の外に待たせたまま、他の患者の処置に呼ばれ、自分は別の看護師にその場をまかせて退出、戻ってきたら、患者は亡くなっていた。
その後患者の家族から、「タンをとる処置のときもつきそっていたかった」と言われて痛恨。経験が足りず、処置に手一杯で、患者の家族に気を配ることもできず……。

ぶっちゃけぼくがこのエピソードを選んだ理由は、

「医療従事者の失敗エピソード」

だったからだ。

ぼくはハッピーエンドが嫌いなのである。

正確には、短いページ数で盛り上がって感動して終わるようなお仕着せのハッピーエンド医療マンガなんて読みたくない、と思っていた。


でも……ここまで、堀向、大塚、山本が選んだエピソードをあらためて見ながら、彼らがそれぞれのエピソードをなぜ「マンガにしてほしい」と願ったのかという理由を聞くにつれて、ぼくは少し静かな気持ちになりつつあった。


医療現場に存在するエピソードはどれも複数の視線が交差した先にある。

きっとそこには、「ありきたりなハッピーエンド」とか、「誰が見てもがっかりするエンド」なんていう単調な解釈は必要ないのだ。

いつだって語り部ごとに異なる、複雑な心のすれ違いがある。

あるいは逆に、複数の心が寄り添い合って、まるで油絵やクラシック音楽のように、一度体験しただけでは全てを語り尽くせないような奥行きのある何本ものストーリーが生まれてくることもある……。


SNS医療のカタチのオリジナル3は、いずれも、医療現場におけるエピソードの「ひと言では語りきれない部分」をうまくすくいとって、マンガ家に託していた。まったく大したやつらだ。

……そして、これらのエピソードって、マンガにするの、もしかしてすげぇ大変なんじゃね……?


※次回、受賞マンガの簡単なふりかえり。そして「彼」が出てきます。

(文中敬称略)(2019.12.18 第4話)


追記:バスターブルー(想像)はもうすぐテレビに出ます。


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