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情報過多による疲労の分析、またはアークナイツ プレイ日記「"孤星"行 所要時間不明」の補足について

先日、こんな記事を書いた。

ひとことでいえば、コンテンツの元ネタを辿ることで、これまで触れなかった古典作品に出会えることが楽しい…という話だ。

ただ、これが今の気持ちを全て反映している訳じゃない。
推し成分を含んだひとつの記事としてまとめるために、負の側面を意図的に端折って書いたので、後から読み返してモヤモヤするところが…ある!しかもアークナイツに関係ない領域で!

ということで心の整理も兼ねて色々書こう。そうだそれがいい。


初めてインターネットを触れた時から今のいままで、守っているスタンスがある。 人の振り見てなんとやら、とにかく他の人の言動とその反応を見て「何がベターか」を常に意識すること。空気を読んでラインを判断することが、小学生の頃から守っている(大小関係なく)ネット上のトラブルに巻き込まれないための自衛策だった。

今は、弊害のほうが影響が大きい。
保守的な言動が増え、後出しの意見に弱い。時には現実的でない最善な理論値の行動を求められ、それ以外は全て無駄と評される。
そして、これらの弱点がずっと頭にこびりついている。「これをやれ!」と誰かに言われなくともだ。

かなり抽象的なので、例を挙げていこう。
アークナイツにおける外伝ストーリーのひとつに、雪山国家のイェラグを舞台にした「風雪一過」がある。そのまま純粋に読むのもよいが、せっかくなら関連作品も楽しみたい。
地政学、宗教国家、黒船来航、大政奉還、主従間のコミュニケーション、チェス戦術…ゲーム内外問わず、ストーリーを掘り下げる観点は多く存在している。実際に僕は「風雪一過」を読むにあたり、チェスから映画「完全なるチェックメイト」、ドラマ「クイーンズギャンビッド」を楽しんだ。

アークナイツ「風雪一過」イベントPV https://www.youtube.com/watch?v=YPrhDiNRa4s

もちろんこれらの観点を前もって考えずに、バニラの状態でも十分楽しめるストーリーになっている。あくまでも、ひと段階さらに楽しむ上でこういったやり方がありますよ、ということだ。


ここまでは前の記事に沿った考えだ。これが「何がベターか」のスタンスと噛み合って悪化すると、どうなるか。

「せっかくなら関連作品も楽しみたい」が、「プレイするなら絶対にこれを読め!読まないなら満足な体験が出来ないからプレイするな!」というイカれた脅しに変わる。なんちゅう強迫観念だ。いや、もっとひどいかもしれない。「おまえはオタクなのだから他古典作品からの文脈を全て理解して読め」とかいう理論値ムーブを強いられることもある。
判断の権利が自分から奪われている状態だ。じゃあ誰に?

一番重要なのがここだ。これらの言葉は誰かに言われた訳ではない。
内容を深堀りしている人をみるだけで、ひとりでに思いついてしまう。 アークナイツの外伝ストーリーを読む前、いつもこんな感じで勝手に追い詰められている。孤星まで所要時間不明なのは、マイペースでバックグラウンドを調べている以上に、習慣づくほどメンタルが思うように上向かない事が大きく影響している。


なんというか…自己肯定感が低いのもあるが、情報過多でパニックになっているように思える。さらに、ずっと緊張感をもっている気がする。
よくも悪くもネットでROMって学びながら生きてきたので、ネット上には本当に一息つけるコンフォートゾーンが存在しない。というか、存在自体信じられていない。どこも常に闘争状態だ。

さて、問題は対処方法だ。
まずTwitterをやめて外に出ろ、海へ見に行け…といえばシンプルだが、現代社会のインフラをそう簡単には放棄できない。というか流石の僕でもいつも外に出て人と喋っている。

そもそも既にこの問題に取り組んでいて、ネット上でいえばDiscord上のコミュニティに所属したり、意図的にTwitterタイムラインの情報量を削ったりしている。もちろん、現実の方でも友人と飯を食べたり。
それこそこの記事を書くきっかけが、非ゲーマーの友人と対面で話したときに胸に引っかかったことがあったからだ。

次にすべきことは、現実だけでなくネット上のDiscordにもコンフォートゾーンをちゃんと作ることだろう。今の僕は客観的な丸い態度しか取っていないので、もう少し自我を出した方がよい。


まだ戻れる。SUNNYもそうだったはずだ。

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