コラム「異教徒と如何に相対すべきか」こばれ話(3):後日談ポスター報告準備編
こすり散らしている先々月U-PARLサイト掲載のコラム「異教徒と如何に相対すべきか」のこぼれ話,今回はコラムでとりあげた,マーリク派法学における「戦争の土地への商売」と冠された議論が,偶然,学会報告の準備とつながったという四方山話でもある.
3月1-3日に東京外大のAA研に事務局がおかれている「イスラーム信頼学Islamic Trust Studies」プロジェクトの国際会議が駒場で開催された(https://connectivity.aa-ken.jp/activity/1901/).この微妙な主催と開催地の関係ゆえに,会議前にAA研のある府中へ向かおうとしていた/向かってしまった参加者をいくらか観測している.会議テーマからして,多くのセッションは地域研究や国際政治などの研究者で占められていたが,2日の午後に比較的間口の広いショートプレゼンとポスターセッションが設けられた.どれくらい間口が広いかというと,プロジェクトが推進する「コネクティビティ」に関連させられればよく,結果として歴史学をはじめとして心理学や工学,デジタルヒューマニティーズ(DH)に至る幅広いディシプリンの研究者が参加した.
私自身も年末に知人に唆されてポスターセッションに申し込んでしまったために,2月以降は準備に追われていた.なにしろ口頭発表はやっと慣れてきた頃だが,ポスター発表なんて初めての経験で,さらにはビジュアライズに向かなさそうなイスラーム法学の内容ということも相まって,作業は難航していた.結果的に多くの参加者から意見をいただくことができて,成果出版に向けたよい刺激となったが,セッションの時間も限られており,幾分の不完全燃焼感が残った.
報告は,マーリク派法学内での公共財利用の規定の学説変遷を追うことに焦点を当てた.その素材となったのが,法学派初期の学説がまとめられる10世紀と,著名な法学者がおおよそ出揃う14世紀それぞれに編纂された同法学派の法学書であった.興味深いのは,14世紀の法学書のほうである.これはハフス朝(1229-1574)の都チュニスで大カーディー(カーディーの任免権を持つカーディー)を務めたイブン・アラファIbn ʿArafa al-Warghammī(d. 1403)によって著され,『法学提要al-Mukhtaṣar al-fiqhī』と題される.
イブン・アラファといえば,『歴史序説』の著者イブン・ハルドゥーンIbn Khaldūn(d. 1406)との確執が伝えられている人物でもある.イブン・ハルドゥーンが,自らの講義に多くの学生が集まることを引き合いにだして,イブン・アラファは自分の人気に嫉妬しているんだと言えば,イブン・アラファは,イブン・ハルドゥーンがカイロのカーディーに任命されたことに対して,彼にはマーリク派法学に対する十分な知識がないと非難する.しかしこの確執は,イブン・ハルドゥーンの自伝『イブン・ハルドゥーンと東西遍歴についてal-Taʿrīf bi-Ibn Khaldūn wa-riḥlihi gharban wa-sharqan』のみで伝えられているために,その偏向性には留意する必要がある.詳しい内容については,以下を参照されたい.Irwin, Robert. 2019. Ibn Khaldun: An Intellectual Biography. Princeton University Press.
イブン・アラファの『法学提要』は,学祖から同時代までの学説を通覧して,その上で彼の時代において正当とされる学説の選択を行っている.現在はIbn ʿArafa. 2014. al-Mukhtaṣar al-fiqhī. edited by ʿAbd al-Raḥmān Muḥammad al-Khayr. 10 vols. Dubai: Khalaf Ahmad al-Habtoor Foundationが,誤字脱字や形式が崩壊している部分が結構な数あって読みやすいとは言えないが,主として用いられる校訂版である.
もちろん,同書は「戦争の土地への商売」の議論の端緒となった『ムダウワナ』の記述にも言及している.ただしその形式は簡便のために,「qawl-hā」や「fī/min-hā」のように女性3人称単数の指示代名詞で表される.同時に『法学提要』は『ムダウワナ』の注釈書ではないため,独立して「戦闘の土地への商売」に類する章立てはされていない.しかし今回は,そうした規定とその議論の再構成が功を奏した.
下の画像は,『法学提要』における公共財の共同利用の規定のうち,共有に供されるべき井戸の種類と,その利用法について議論する一部である.注目すべきは,この議論において『ムダウワナ』の「戦争の土地への商売」での議論が参照されている点である(赤マーカー).コラムでも書いた通り,この議論は『ムダウワナ』では異教徒に対する平時の渉外規定をまとめる目的でまとめられた.その意味で,イスラーム教徒が住まう土地での公共財の利用規定に紙幅が割かれているのは,少し違和感があるかもしれない.しかし以下の理由でこの2つの議論は繋がっていたし,その発想が却って文献探索の奥行きを増加させることになった.
ここで議論されている共有用の井戸という種類は,主として村落共同体をはじめとしたすでに利用されている土地から離れた場所にあるものを前提としている.そうした土地は人々によって活用されていないがために,所有の原因が曖昧になっているわけだが,その曖昧さが最近イスラームの土地dār al-Islāmに編入された,すなわち異教徒との緩衝地であった荒地を越えて,イスラームの土地が拡大した結果,当該荒地がその領域に内包されることになったことに起因する場合もある.すると,戦争の土地へ赴く場合の法適用の議論の発展形として,同じ土地でも法適用の変更が生じた場合の運用の議論が「戦争の土地への商売」の章において議論される可能性は見出される.
実際,公共財の利用に関してマーリク派法学書は「死地蘇生iḥyāʾ al-mawāt」という開墾による所有権取得の議論や,「相隣関係jawār」という都市生活での議論のなかで一部盛り込まれることが一般的であった.筆者にとって,今回のポスター準備における偶然の出会いは,イスラーム法学におけるよくいえば議論の柔軟性,悪くいえばカイズイスティークな議論の展開を実感する機会となった.一方で,今後のイスラーム法学と公共財利用の法学議論の変遷を追う際に,注目する必要がある議論の軸がもう一つ見つかったことが,自身の研究の網羅性や一般性を高めてくれることになるだろう.
最後に,もうこのトピックでポスター発表をすることはないだろう.報告者の技量不足もあるが,形式として向かなさすぎることを痛感した.