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啄木鳥探偵處の感想を二年経った今更書く

 先日、Twitterで石川啄木記念館のツイートが流れてきたのを見た。展示資料の紹介だそうだ。画像に写っているのは夏目漱石の「吾輩は猫である」。啄木の処女小説のタイトルが、その題名を参考につけられたらしい。

 そういえば、と思い出したのが表題の「啄木鳥探偵處」だ。2020年4月、主人公である石川啄木その人の史実の命日に放映開始したその1クールのアニメを、私は一通り見てBlu-ray Discも買った。放映前から番組の宣伝で紹介されていたキャラクターや映像に惹かれて随分気になってしまい、原作の小説を買って読んで見たり、いざ始まってからは視聴だけでなくグッズをあれこれ買い集めたりと随分のめり込んだ。ちなみにグッズは今でも部屋に飾ってある。シリーズの視聴を終えた時、いろいろ感慨深く思ったのだが感想や考察をまとめ損ねていたのを思い出したので、今更だが書いてみようと思う。

https://kimikoe.com/kitsutsuki/ (公式サイト)

 先のツイートの件に話を戻すが、このアニメの中に、啄木が自分の小説を夏目漱石の元へ持ち込んで批評してもらうシーンがあったのだ。忌憚ない意見を、と述べて差し出された啄木の原稿。漱石の答えは、「よく書けています」「現実を題材にしているのでリアリティがある」と述べるに留まる。病気療養中でもあった啄木に 体調はいかがですか と気遣う言葉をかけてから、差し支えのないようであればと前置きした上でこう締める。

「また短歌を見せてください」


 史実における啄木は誰もが知る天才歌人と言うべき人だが、本人は小説が書きたかった、だが書いたものは評価を得られなかった と聞く。上記の夏目漱石のやり取りなどはこの辺りを反映したシーンだろう。作中に登場する人物は皆啄木についてあれこれ言いつつもその才能を評価するが、序盤は短歌の話しか出てこない。そんな中、アニメでは後半の8話に至る頃、啄木はとある女性に出会って小説を書くように促される。

原作小説とアニメの差異

 前宣伝で期待して見始めたものの、アニメ1-6話まではなんとなく物足りず、緩い印象だった。オリジナル展開の第一話では主人公は推理はしたものの真犯人は不明のまま(これは後で解決するのだが)。その後の事件も推理過程にあまり時間を割いていないせいで、ミステリとしてはどうも駆け足だったり推理が大雑把だったり、展開が急だったりと不満を感じる部分が多い。

 ワトソン役の金田一京助を振り回したり喧嘩したりしながら事件を解決する傍ら、文豪たちがミルクホールで呑気に語り合っている。豪華声優陣が頻繁に良い声で詩歌の朗読をしてくれるので耳には心地いいのだが、需要としてはニッチ寄りだと思う(もっとも、私はそのニッチ層の一人なのだが)。文豪仲間たちの日常にかなり時間を割いているが、取り上げられる事件の展開が重く暗いものが多い中、推理に絡まず、ギャグも挟む日常パートが解離しているとも感じた。啄木の人物描写は史実を踏襲しているのだが、借金その他、結構容赦なく描かれているのであまり主人公として万人ウケするキャラクターではない。

 先に読んだ原作の小説はどちらかというと手堅い推理ものだった。事件自体は概ねアニメに出ていたものと一緒だが、推理にしっかり頁を割き、凝った仕掛けもあり、ミステリとして見応えがある。時代の描写として当時の街並み、大きな事件や風俗についても触れられて雰囲気もあった。やや気になるところといえば探偵役。啄木と京助はホームズとワトソン型の探偵コンビだが、史実に因んだ設定がちょくちょく現れて忠実であるものの、この二人に探偵役をさせる必要性はあまり感じない。似た性格のオリジナルキャラクターを和製ホームズ&ワトソンとして出しても構わなかっただろう。ただ、事件の合間合間にこの二人に絡む史実や親密な仲についての描写は多々出てくるので、きっと原作小説の作者は石川啄木・金田一京助の二人と推理小説が好きでそれを組み合わせたものを作ったのだろうと思っていた。全体として、推理ものが好きな私にとって特に不満のない良い本だと思えた。

 アニメはかなり原作に変更を加えている。推理はシナリオの味付け程度にとどまった感じで、文豪仲間のキャラクターが大幅に増えた。声優がらみのプロジェクトだそうなので声をあてるキャラを増やしたいというのもあったと思うが、端役寄りのキャラの声優まで豪華だった。その反面、個々のキャラクターの文豪としての描写は控えめ(それでも作品を紹介したり、シナリオ中でも多少の見せ場をそれぞれに充てていたとは思う)。わざわざ増やした割には事件にあまり絡んでこないなと不思議だったし、日常パートが増えたために事件の描写が薄くなった感じさえあった。

手の届かなかった小説と寄り添い続けた短歌

 アニメ5-7話にかけて啄木と京助は大喧嘩をして仲直りをする。そこはまあお約束の流れで、そのまま日常に戻るかと思われたが、7話のラストで啄木が血を吐くシーンが入り流れが変わる。

 8話で病で死の予感を覚えて自暴自棄になりかけた啄木が園部環という女性に出会う。環の登場する事件自体は原作を元にしたものだが、展開はかなり異なる。アニメの啄木はおそらく独身で環に恋をするが、原作小説の啄木は妻帯者で女性との色恋沙汰の描写はない(ちなみに京助も妻帯者で、どちらの妻も少しだが登場する)。

 独特の死生観を述べる環の雰囲気に惹かれて事件の依頼を受けた啄木。教会で人助けに勤しむ環とのやり取りを経て感化され親密になっていくものの、最終的には事件の裏にあった環の自作自演を暴き、結果的に環は死亡する。

 環は啄木とのやりとりの中で初めてその短歌を聞いた時、「歌というのは所詮情緒的なもの、あなたはその才をもっと世の中の役に立てるべきでは」と述べる。それを機に啄木は「世の中のためになる事を」と言うようになり、環の死後は小説を書き、最初に述べた夏目漱石のシーンに繋がる。史実同様、結局評価されるものは書けなかったと言う展開だ。

 環は物語中で啄木が憧れ、恋をする相手として描かれるが、多少の関係の深まりは見せるものの基本的には啄木に冷淡だ。あなたを救いたい、僕はあなたに救われたのにそれではダメなんですか、と訴える啄木に、あなたはあなたのやり方で生まれてきた意味を見つけてください、と突き放す環。環は啄木にとっての小説を投影したキャラクターだったのだろう、と思う。短歌を遊びだと言い、小説を志した啄木だが、褒められるのは短歌ばかりで小説は評価されない。請い求めて努力をしても相容れなかった環の姿が重なる。

 「こころよく 我にはたらく仕事あれ それをし遂げて死なむとぞ思ふ」とは実際に石川啄木が遺した歌の一つで、アニメのCMにも詠まれていたものだ。番組のテーマの一つなのだろう。環が死ぬ際にもこれを口にする。好きな女性を死なせてしまって今際の際に呟かれたのが自分の歌、と言う啄木のショックは相当なものだと思うが、問題になるのは「『こころよい仕事』とは何か」だ。

 病が進行して死期を悟りつつある中、環を亡くして啄木は「生まれてきた意味」を探して必死になる。小説を書くが上手くいかない、環の仇である男を刺そうとするがそれもできない、役に立たない自分は死ぬべきだと思い自傷するも上手くいかない。遂には単身故郷を訪れて身を投げようとした時、京助がそれを止める。

 環が小説ならば、京助は短歌の投影だろう。自分みたいなどうしようもない人間をなぜいつも助けるのかと問う啄木に、京助は「それが当たり前だからかな」と答える。短歌をどうやって詠んでいたか思い出せない、と言う啄木に対する京助の返事は「自然に出てくる感じだったけど」。啄木に常に寄り添うのが京助と短歌だ。やがて、京助の事を歌に詠む事で啄木は短歌を取り戻す。

石川啄木という歌人がその短い生の最後に『こころよい仕事』をし遂げる物語

 京助と二人で東京に戻ってから、これまで正体の明かされてこなかった告発状事件の解明篇に入る。次の事件に関わりそうな男を突き止めた後、京助の誕生祝いの宴を京助自身に資金援助させつつ文豪仲間を巻き込んで開催する啄木。そこに件の男を誘って事件を起こすのを思いとどまらせた後、独り、男を唆した告発者Xその人と対峙しに教会へ行く。

 下宿の女中・加代との対話で啄木は語る。世の中のために小説を書いていたのなら、短歌はなんのために詠むのかと加代がかつて尋ねた事に対する返事でもある。「僕はどうしようもない人間で、できるのは歌を詠むことくらい。それは身の周りの煌めきを覚えておきたいからで、それが僕の生きる意味なんでしょう」と述べた後、煌めきの真ん中に京助さんがいたんです、と締めくくる。最終的に加代を諭して故郷に帰らせる際、啄木は手紙に一首の短歌をしたためて贈り、下宿ではバイオリンでユーモレスクを演奏する。環にも絡むこの曲はきっと二人への餞なのだろう。

 死期が迫る中、追い詰められて人を殺めようとする男を励まして思いとどまらせ、身近な友人が罪を重ねるのを止めた啄木。告発者Xは環の事件にも関わっていたのだから、その根を絶ったのでもある。死の間際、短歌に「生まれてきた意味」を見いだした啄木は京助の手を借り、環や加代とは違う自分のやり方で「こころよい仕事をし遂げた」のだろう。愛する人に誰かを殺させたくない、と言った啄木らしい結論だと思う。自分をどうしようもない人間だから、と述懐する啄木に罪を断罪させるのはあまり似合わないから、良い展開だと思う。事件の後、啄木と京助が語らいながら二人で歩き、空を見上げる。

 啄木の企画した誕生日会の際に、京助は「僕の誕生日はひと月も後なのだけど」と言うような事を口にする。金田一京助の誕生日は5月5日。誕生日会は4月の頭だったことになる。そして石川啄木の命日は4月13日。

 告発者Xの事件解決後まもなく、啄木はこの世を去ったのだろう。彼はこころよい仕事をし遂げたのだから、寂しいばかりの臨終や葬式のシーンはこのアニメには必要ない。

啄木にとっての短歌

 啄木鳥探偵處における啄木と京助のブロマンス的な友情はテーマの一つだろうと思うが、そこだけを取り上げてしまうと最後の事件解決の意義が薄れてしまうように思う。上に述べた通り、このアニメは「石川啄木が人生の最期にこころよい仕事をし遂げるまでの物語」であって、そこには本当に作りたかったもので評価されなかった天才歌人に向けての思いやりを感じる。儚い生の最後に、少しでも救いを感じていてほしいと言う気持ちがあるのではないかと思う。そこに必要なのは、友人たちとの日常だけではなく、悲しい玩具と呼んだ短歌に自身が価値を見出す物語だ。そう考えると、序盤の文豪仲間たちを交えた日常シーンにも、啄木の「煌めき」を描く上では意味があったのかなと言う気もしてくる。

 実際の所、史実のモデルの人がどう思っていたか、までは勿論わかるはずもない。ただ、小説を書いたものの評価はされなかった、一方で高い評価をされていた短歌は当人にとっては「悲しい玩具」だった、そしてその歌集も数少ないまま若くして病死した、となると、どうしても無念の思いがあったのではという寂しい印象が拭えない。友人たちを含めた文壇や読者に愛された短歌が、せめて本人にとっても少しでも救いであってほしい、と言う願いが込められていると思うのは考えすぎだろうか。

余談

 そんなわけで、史実の作家への情が深く感じられるあたりが私がこの作品を好きな理由なのだが、全体を通して見ると、コアな史実ネタも入ってそうだけどターゲット層どこだったんだろう、とか、やっぱりミステリ面はもう少し骨太の方が嬉しかった、とか、せっかく文豪キャラが沢山いるのにシナリオへの絡み方が少なくて勿体ないな、とか、最初に書いた難点色々も込みで、ひとへのおすすめしにくさは正直感じている。だとしても私は好きなのでそれでいいのだが。

 ちなみに私はこの作品以前から若山牧水が好きなのだが、啄木鳥探偵處ではシナリオ中ほとんど出番が無いにも関わらず、鍵になるような重要な立ち回りをしたり、ボイスを充てている声優さんが主題歌を歌っていたり、さらには重要シーンでキャラクターボイスのままの挿入歌があったりする。かなりの厚遇では無いかと思うが、史実で牧水が啄木を看取った人物だからだろうか。なお、この挿入歌、実質キャラクターソングになっていて、歌詞に牧水の短歌を取り入れてあり、かなり力の入った作曲になっている。とても癒される良い曲なので是非聴いてほしい。私は今でも時々通勤中やドライブ中に流している。


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