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金・銀・砂子

1.金

 憂鬱だ。なにがってエアコンのことに決まっている。俺の部屋のエアコンは設置してからもう15年くらい経っている。これがエアコンじゃなくてゴールデンレトリバーならそろそろ覚悟するくらいの年数だ。そしてエアコンも覚悟の一語を俺に押し付けてくる。現在、設定温度は22度。普通の冷房ならとっくにキンキンだ。ケロンパだ。きれいなキンタマだ。


 しかし、ぬるい。


 そう、ぬるいのだ。囚人に運ばれてくるスープくらいぬるいんだ部屋の空気が。汗をかくべきか引っ込めるべきか肌がギリギリで逡巡するくらいのぬるさが、22度で、まだ、保たれているのだ。これ以上、設定温度を下げるのは、もう才能の世界だ、アマチュアの甘えは通用しない。アスリートとしての気概が求められる、21度以下は、さすがに。


 だいたい、なぜ効きが悪いのかっていうと、エアコンの口の締まりがないのもいけない。外から帰ってきて、ふーあっついあっついとリモコンをONしても、通風孔のフタが完全に開ききらない。デブの腹筋みたいに、90度まで開く前に力尽きて、だらんと垂れ下がる。これじゃ部屋全体に冷風が行き渡るわけがない。しょぼしょぼの風が真下にぼとぼと落ちるだけだ。こうやってパソコンで文章を書くというタスクを抱えている俺は、炊き出しのシチューみたいにいちいち冷風を真下で受け止める暇はないのだ。分かるか。



 とはいえ、黙って咥えている指があったもんじゃないぞ俺も。ハァ。いちおう、対策は講じている。ではご覧いただこう、これだ……(1・2・3)







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 俺もそう思う。



2.銀

 オムライスが気に食わなかった。ずっと鼻持ちならなかった。卵料理は大好きだ。卵焼きに類するものであれば何でも愛してやる俺でいたかった。だからこそ余計にオムライスが許せなかった。


 なんで、中身がチキンライスなんだ。


 チキンライスは好きではない。第一に、高確率でグリンピースが入っている。入れなきゃいけない法律でもあるのかな。軽犯罪法に。あるいは事務所のゴリ押しか。いつの時代もそうだ。真面目にやるやつが馬鹿を見る。優れた才能はいくらでも在野に隠れているというのに。どだいグリンピースが入ってなくたってチキンライスはどうも料理として完成していない気がする。ケチャップ味が強すぎる。ケチャップが嫌いなわけじゃないが、ポテトにつけて食う時も江戸っ子はさきっちょにちょっぴりつけて音を立てて啜る、それが粋ってもんじゃないか(タトゥーハーツで書いてた)それを、米のいっこいっこまでひたひたにケチャップまみれにしていては、もはや米料理というより固形のケチャップを貪っているようなもんじゃないか。


 で、中身がそれなもんだから、オムライスには懐疑の目。中身ケチャップライスでなくてもいいはずなんだよ、絶対。いくらアウターの卵がフワトロ絶品でも、中身がケチャップライスだとどうにもテンションが下がってしまう。感触も良くない。やわらかい卵と比べると、ケチャップを接着剤にして強固に互いに結びついているチキンライスは、スプーンを突き立てた時に、モショボルンと、まるで粘土を掘ってるような気分にさせてくれる。させてくれた。


 なんかオシャレでちょい高めな洋食屋とかに行った時に(ABCマートとか)、メニューにオムライスがあるとおおっと心惹かれるものの、中身がチキンライスである可能性が高いことを考えるとつい、二の足踏んでしまうこの心。オムライス、理由はわかんないけど、たぶん実際は何も考えてないと思うんだけど、なぜか外側が卵で包まれているせいで中のライスがどんな状態か、なかなかメニューじゃ判断できなくて、すごくもどかしい。


 そんで、いつもオムライスは注文せずに、ポロネーゼとか頼んでしまうんですね。あの日もそうだった。なかなか雨が降り止まない午後だった……。






 でもポムの木はバターライスもある。



 でもポムの木のオムライスの中身は、バターライスなこともある。



 ポムの木のオムライスはバターライス。




 ポムの木はバターライスのオムライス。





 ポムの木に行こう。


 カバンに文庫本一冊だけ放りいれて、ポムの木を目指そう。



3.砂子

 最近は映画をわりと見ているんだと思う。閃光のハサウェイと、コングVSゴジラを見た。見終わって、チャットワークの自分用チャットに思いついた感想をばーっと書き殴る。これを習慣づけるように心掛けている。俺はどうも自分自身の感想さえも他人の感想に委ねてしまう癖があった。自分でどう思ったか、どう感じたかを文章として形に残すのはなんだかんだ言って、かなり内省的な行為であり、自分の録音した声を自分一人で黙って聴き続けるみたいで、つらく、エネルギーのいる作業であるからして、それをすっ飛ばして他人の感想だけ眺めて、美味しいところだけ拾い食べして完結させるのは楽であるけれども、ずるずるとそのやり方に甘え続けるのは、結局、友人たちと好きな映画の話で盛り上がろうとしたとき、あ、俺って映画に対してなーんも深い感情を抱いてない、即物的な見方しか出来ていないんだと気付かされてしまうので、何とかしようと思った次第である。


 まあ非常に脳が疲れる行為だ。自分の感想をまとめた後に、ご褒美としてツイッターで他人の感想を読みまくる。自分の気づいていなかった描写や考察のスキマにすーっと沁みていくようで甘美なる危険だ。それで、びっくりしたんだけど、映画のあらすじ紹介のオチをターミネーターの溶鉱炉にするやつ、まだやってる人いるんだな。令和に持ち込み禁止じゃなかったのか?



 


補足

 「ポムの木」は正しくは「ポムの樹」でした。各々、Ctrl+Rお願いします……。







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