白い悪魔

このお話の主人公。つまりこのお話を書いている私は死を目の前にした病人です。従軍中に金属の破片がお腹に入ってしまいこのまま死んでしまうようなのです。

私は20年ほどジャーナリストとして働きました。

私の取材対象は凶悪犯罪者でした。殺人、麻薬の密売、マフィアの幹部などたくさんの極悪人と刑務所で面会し、取材し、それを雑誌に載せてきましたが、死の直前になって思い出すのはあの’白い悪魔”のことです。

この”白い悪魔”のことを雑誌に載せたこともなければ、飲み屋で話したこともありません。そうしてしまえば、雑誌を読んだ誰かが、あるいはその話を聞いた誰かが、”白い悪魔”の思想に賛同し、恐ろしい行動をしだすんじゃないかと恐れおののいたからです。それほど彼は魅力的で危険な存在でした。しかし、もうじき死ぬんだと考えると自分自身の考えも変わってきました。一体、人間が”白い悪魔”のお話を聞いたら、どう考え、どう動くのかに対して知的好奇心が沸いてきたわけです。もしかしたら私の魂は死を目の前に”白い悪魔”にそそのかれてしまったのかもしれない。

おそらく私の知的好奇心が満たされる前に私は”白い悪魔”と同じ亡霊になるでしょう。亡霊になったらこの文章の少し向こう側の世界にて”あなた”の心の変化を見させていただきたいと思います。

私が26の時で、取材にも慣れはじめたときでした。ぼんやりとテレビを見ていると一家を皆殺しにし、その後その家を燃やした男の話が流れてきました。テレビに映る彼は異常なほど、色白で、顔は痩せこけていました。こんな男が一家を殺した事に対する驚き、そして同じ26歳がこんな風貌をしているという事実に私のジャーナリスト魂は完全に火をつけられたわけです。
いろいろなコネを使いに使って、私はついに彼と面会することがかなったのでした。

面会室で5分ほど待っているとシャリンと足に付けられた鎖を鳴らし、彼はふらふら歩きながら、私に目を合わせました。

「ごきげんよう。あなたが今日私と暇を潰してくださる佐竹さんですか。」

彼があまりにも社交的に話しかけてきたので、思わず言葉に詰まった私は自動販売機で買った缶コーヒーをゴクリと飲み干しました。

「さて。今日は何して遊びますか?」

”白い悪魔”は間髪入れずにまるで小学生の子供に話しかけるような口調で話しかけたのです。ここで相手のペースに持っていかれるものかと、私は気持ちを入れ直しました。

「取材を受けていただきありがとうございます。ジャーナリストの佐竹です。遊ぶというのは鬼ごっこやかくれんぼのことでしょうか。」

「あはははは。いいですね。それは結構な暇つぶしになるでしょう。しかし、こんな鎖を付けられていては、鬼ごっこをしてもうまく走れませんし、かくれんぼでは鎖が音を立ててすぐに見つかってしまいますね。」

「それでは、”遊ぶ”というのはどういうことでしょうか。」

「そうですね。。せっかくなので鬼ごっことかくれんぼをしましょう。もちろん物理的にではなくあくまで精神上での話です。なにかのお題に対して自分が目を背けていた価値観、つまり鬼から追いかけられてみる。あるいは心の中に埋もれている価値観を一生懸命探してみる。結構な暇つぶしにはなりますよ。」

「それではお題はどうしましょう。」

「じゃあせっかくお互い26ということなので、愛について考えてみましょう。佐竹さんは結婚してらっしゃいますか?」

「いえ。しかし、結婚を考えてる恋人がいます。」

「それではちょうどいい。それでは私が鬼として1つのお話をあなたにしてあげます。」

「しかしですね。面会時間は1時間ですよ。こうやって遊んでいるうちに時間がすぎて記事が書けないんでは、仕事にならないんですよ。。。」

「あははは。では記事にもしやすいお話をします。」

私はすでに空になった缶コーヒーを飲むふりをしました。
”白い悪魔”はそれに気付いて少し微笑みながら話し始めました。

私が愛した恋人は不幸な家の生まれだった。
両親が働かずに昼間から酒を飲んでいるような家庭で、恋人が働いて稼いだお金を平気でギャンブルに使うような家庭だった。
蛙の子は蛙。恋人の兄弟たちも同じような行動をしていた。

恋人がはじめて私に心を許したとき、恋人は自分の家庭環境と自分がこれまで生きてきた不遇な過去を嘆いて泣き出した。

私は恋人を愛すことを決めた。恋人の現在を愛するために恋人の受け入れられない過去さえも愛そうと決めた。

「絶対に君をお金では困らせない。だから一緒にいてください。2人で幸せになりましょう。」

そこからしばらく幸せな日々が続いた。私はみるみる出世し、お金を稼ぎ、そのお金で恋人を豊かにした。仕事のストレスで私はみるみる色白になり、痩せこけた。しかし、恋人のために自己犠牲をしていると考えると心が飛び上がるほど高鳴った。

しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。恋人の両親と兄弟が結婚資金としてためていた巨額のお金を全てギャンブルに溶かしてしまった。私は恋人にまた稼げばよいと言った。しかし、恋人は発狂してしまった。家で暴れ、物を破壊し、あげくの果てに私自身にも暴力をふるうようになった。

私は恋人の幸せを願って、恋人を元に戻す方法を必死で考えた。
恋人の今までの幸せの根源は、私が自己犠牲をしながら働いていることであった。そして私は最後の自己犠牲の発見を最も落ち着いた感情を持って受け入れた。恋人の家族を皆殺しにすることである。

午前3時。私はホームセンターで買った工具を使って玄関を突き破った。リビングでは泥酔した両親が寝ていた。私は淡々と両親の首をロープで絞めて殺した。恋人の不幸の根源を片付けているので、部屋を片付けているような感覚で両親を殺した。2階にあがると恋人の兄がゲームに夢中になっていた。背後から首を力一杯刺した。兄が倒れても、血が大量に流れても私の”部屋を片付ける”という感覚は変わらなかった。隣の部屋では恋人の弟がベットで寝ていた。弟の部屋には家族写真があり、それが恋人を不幸にする呪いの札のように見えた。「これは家ごと燃やさなければならない。」私は自分の着ていた上着を油で浸し、それをガスコンロの上に置き、私は家を去った。

午前5時、恋人のアパートのドアを開いた。彼女は発狂し私に殴りかかった。

「君の家族全員殺してきたよ。これで元の君に戻れるね。」

私は彼女を抱きしめた。

「ええ。」

彼女は何が起きたか分からないような声を上げたが、表情は私が好きな恋人そのものであった。私の胸は高揚した。



”白い悪魔”は長い話を終えるとにやりと笑いました。

「愛とは自己犠牲。違いますか?今日のお題です。」

私は空の缶コーヒーを飲み干すフリをしました。

「しかしねえ。愛は2人のものですから。あなたのように結果的に恋人に会えなくなってしまっては、自己犠牲をしてもしょうがないのでは」

「あははは。確かに結果的には私の愛は失敗でした。しかし、過程で考えると自己犠牲は愛のためにずっと必要なものだった。だから最後も自己犠牲をすれば恋人が幸せになると信じてみたわけです。」

「それは自己犠牲にとらわれすぎでは、まるで自分には自己犠牲があなたにとっての呪いのように見えるんです。」

「そうですか。。ではひとまず、今日の結論はそれでいきましょう。まあ私はもうじき処刑されるので、今日も明日もないんですがね。
しかしねえ。きっとあなたも愛のために自己犠牲をする瞬間がくる。そのとき今日のことを思い出してくれませんか?いや私は死後、悪魔になってあなたをそそのかしに行くかもしれません。

「自己犠牲をしろ。それが相手のためだ」ってね。私の風貌をふまえるとね。”白い悪魔”とでも名乗っておきましょうか。」

看守が面会終了を告げに来た。”白い悪魔”はずっと笑顔でこちらを見ていた。

”白い悪魔”が死んで10年ほどたった頃、私は妻と小学生の子供と温かい家庭を築いていました。

そんなある日、私の収入源であった雑誌が来月に打ち切られることになってしまったのです。

このままでは家族を路頭に迷わせてしまう。そんなときに出版社から一本の電話がありました。

「今ヨーロッパで起きている戦争に取材に行く仕事があるんですが、いかがですか?もちろん給与は弾みますよ」

「愛とは自己犠牲。違いますか?今日のお題です。」

白い悪魔がこちらを見て笑っている気がしました。

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