あの日の美術室で
鉛玉のようになった僕はベッドにスーツのまま寝転んだ。
さすがに働き過ぎてしまった。
月末の納期に間に合うようにここ2週間はほぼ徹夜で働いていた。
大卒3年目、25歳。やりがいのある職場で初めての部下もできた。
自分の仕事だけではなく、部下のサポートまで完璧にこなしていたら眠る時間などなかった。
しかし、体はもう学生のときのように若くないみたいだ。
もうあと10秒後には熟睡しているだろう。
するとスマートフォンが通知音を鳴らした。
「あみが亡くなったようです。こちらが通夜とお葬式の日程になります。」
中学3年の頃のグループLINEからの通知だった。
こんな衝撃的な通知を見ても僕の心には驚きも悲しさも沸いてこなかった。
ただぼんやりと美術室を思い出した。なぜかいつもそこは夏の昼間で、窓が全部開いていて、そこに夏の風が吹いてきている。あの美術室を。
緩やかな思い出の中で私は眠りについた。
「まだ作品終わってなかったの?ずっと昼休み潰れてかわいそうね。」
制服を着たあみが僕をからかう。僕は美術の時間が苦手でいつも保健室に行ってさぼっていた。自分の下手くそな絵をクラスメイトが馬鹿にするからだ。いや、馬鹿にされるような気がしたからだ。だから僕は昼休みに絵を描くようになった。
「終わってないのはお互い様でしょ。でもあみの絵は上手で先生もみんなも完成を楽しみにしてる。僕の絵は下手くそで誰からも期待されてない。こうやって昼休みを潰すのも自分の評定のためだけ。なんか月とすっぽんってこういうときに使うんだね。」
「あはは!はいはい。いつものひねくれ節ね。私はあなたの絵好きだけどね。」
「はいはい。いつもの適当なお世辞ね。」
「お世辞じゃないよー。例えばね。今回の水彩画のテーマは学校の好きな場所だったよね。んであなたは図書館を選んだ。そういうとこ。」
「絵のセンスがある人の話は聞いても分からないからさ。とりあえずありがとうって言っておくよ。」
「図書館が好きなの?」
「好きというよりそこしかないって感じかな。なんか昼休みみんなでサッカーするのが嫌になっちゃったんだよね。勝手にみんなが楽しめるようにとかけんかが起きないようにとか気を遣っちゃって。んで教室もあみたちがガールズトークしてるしな。図書館に自然とこもるようになってね。」
「あらら。それはごめんなさい。」
あみは美術準備室から絵の具と筆、自分の絵を持ってきて机の上に置いた。その後、何かを思い出したように立ち上がって、バケツに水をくんだ。
「私の今回の絵、かわいいよね。」
あみが描いたのは教室の窓越しに見える1羽の鳥だった。
「よく小説で死んだ人は鳥になって、自由に会いたい人に会いに行くって描写あるでしょ。授業が退屈で外を見ていると、あのイチョウの木にいつも小さな鳥が止まっている。それを見るとクラスの誰に会いに来たんだろう。って考えるの。」
「亡くなった祖父母とかだったらいいなって思うな。」
「そうだね。なんか毎日が授業参観みたいになっちゃうけど。」
外は夏の快晴で全ての窓は全開だった。
すると急に強い風が吹いて、その風は僕たちの前にあった絵の具やバケツ途中の絵までも溶かしてしまった。美術室には机に座っている僕とあみだけになった。僕は全てを思い出してハッとした。
「ほら。もうチャイムなるから行くよ。」
あみは立ち上がって歩き出した。
「待って。」
僕も立ち上がってあみの手首をつかんだ。
「このまま行かせたら2度と会えない気がする。」
「あはは!」
あみはいつものように大きな笑い声をあげた。
「私、死んじゃったんだ~。」
「なんで?」
「仕事がきつくてねー。電車のホームで「あっ。ここから飛び込んだら楽になれるな。」って思ったのよ。てか結局、卒業後1回も会わなかったね。あれだけ成人式で会おう!って言い合ってたのに、お互い成人式にも行かなかったし。」
「ねぇ。僕はあみのことが好きだったよ。でも告白できなくてその気持ちを忘れたふりをした。んで忘れているフリをしているうちに本当に忘れてしまったんだ。でも心の奥底ではあみに会いたいと思っていたんだと思う。」
「私も忘れたフリをしているうちに本当に忘れてしまった。あなたへの気持ちも、思い出も、生きる楽しみも。」
「ねえ。本当にもう会えない?」
「そうだね。こういう形ではもう会えない。だから今日思い出の中で会えたのかもね。今日は本当に楽しかったありがとう。
ほら。もう行かなくちゃ。チャイム鳴るよ。行くよ。」
あみはいつものように教室に向かって走り出した。
目覚めるとグループLINEに通夜と葬式の出席の連絡をした。
会社には体調不良でしばらく休むことを伝えた。
窓を開けると、夏の快晴の太陽と空が気持ちよかった。
ベランダには都会には似合わないほど美しい1羽の鳥が物干し竿に止まってこちらを覗いていた。
今日も夏の強い風が吹いていた。
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