日記①

ポストを開けると、布マスク二枚が届いていた。昨日同じ区内の友人宅に届いたのを確認したから、そろそろだと思っていたが、回収騒ぎになっているとの情報もあり、もしやこのまま届かないのではないか、それならそれでいいのだが……と思っていた矢先に届いた。荷物を自宅に置くと、布マスクと財布とiPhoneだけ持ってコンビニに行き、ライターとたばこを買った。それからアパートの下の暗がりでマスクを焼いた。

一枚のマスクを焼くのにかかるのは10分程度である。あまり派手には燃えない。最初はぱっと明るくなるものの、最後の方は火が弱くなっていく。息を吹きかけたらまた少し燃えた。ひものつけ根のあたりがよく燃えるようだったが、たまたまかもしれない。

布マスクはクソほどの役にも立たない、ただの無駄だというのがわたしの結論だったが、そのまったく無価値・無意味なマスクをわざわざ焼く行為はそれに輪をかけて無駄な行為であり、いけないことをしているようなスリルもなく(実際、これほど軽微な焼却行為には法律に触れることもない)、ただ虚しかった。

「布マスク」でTwitter検索したところ、芸能人が布マスク姿を公表し「私にもピッタリ!」とブログに書いていた。わたしも装着してみたが大きさは問題ないように思う。小さすぎるという話があったが、改善されたのかもしれない。

布マスク二枚を洗濯して使う人々を想像してみたが、あまり想像できなかった。あの芸能人は本当に使うのだろうか。布マスクは洗えば洗うほど縮むという。また、布マスクは肺炎が悪化するとの報告もあったようだ。しかし実のところどうなのだろう、わたしは科学的根拠を並べたてて「布マスク二枚」に反対する気にはなれない(科学的知見に関しては、いま確かなことは依然としてほんのわずかであるように思う)。

路上生活者に寄付するところもあるようだ。路上生活者にはありがたかったりするのだろうか。わたしは路上生活者ではないので、何が必要で何が不要なものかうまく想像できない。しかし不要なマスクを路上生活者に!というのは、自分が持て余すものを他人に押しつけているような気がしてしまう。友人が「本当に路上生活者に対して何かしてあげたければ、紙マスクを送ればいい」と言っていた。もっともな意見だと思う。

「布マスク二枚」が発表されたときは、最初カッとなったが、みんなが「安倍さんはおもしろいね」というのでそんな気もしてきた。未曾有の疫病対策として、国民に布マスクを二枚支給します。そんな国家が小説に出てきたら、笑うだろう。リアリティがないなって。現実の悲惨さにフィクションの想像力がまったく追いつけなくなった、そんな時代を生きている。

マスクを焼いている最中、村上春樹の「納屋を焼く」という小説を思い出して読み返したくなったが、文庫本は実家にあり、amazonには在庫がなかった。kindleもなし。図書館は使えない。だからうろ覚えなのだが、あれは本当に納屋を焼いていた話だっただろうか? 主人公は納屋を焼くところを見たんだっけ。ただ「納屋を焼く」という話を聞いたんじゃなかったか。主人公は確かに納屋を焼いたと信じたんだろうか。

しかしマスクを焼いたという話は信じる信じない以前に圧倒的にどうでもよく、人から聞かされたところでわたしなら流してしまう。そんなことより大事なことはたくさんある(大概のことはこの一言でクリアできる)。

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