衝撃のリベロ選出

相変わらず、日曜日のみの観戦で、ファイナル3は豊田合成が、初のゴールデンセットを勝利して、ファイナルに進出した瞬間を目の前で見た。

ゴールデンセットって、何なん?、どういうことと気持ちが落ち着かないままで見ていた記憶だけある。その時は、ファイナル6最終日からの流れで、ジェイテクトの応援をなんとなくしていたから、はあーーと思いながら。


そして、やっと発見した浅野博亮選手が、実は大怪我からの復帰でジェイテクトに波を持ってきていたことなどを、その後にわかってきていたので、私の中ではもっと見たい選手の筆頭に上がってきていた。


ところの、2017/2018シーズンの日本代表選手の発表だった。

そして、ずっと楽しみにしていた、Vリーグオールスター(@船橋アリーナ)に、浅野選手も緊急参加されることになり、まだその頃はわからない選手も大半だったけれど、清水選手が怪我で十分なプレーができないからと柳田選手が清水選手とユニホームを交換して、左手でサーブを打ったり、とにかく柳田選手がいろんな選手のジャージを着たりと、どんだけ可愛がられているんだよー、とものすごく楽しんだ。

でも、その場で、リベロ登録で選出されたことを浅野選手にインタビューして複雑な表情をして、まだよく知らないんです、と当たり障りなく答えていたことだけは、強い印象に残っている。


あの時点では、その意味合いを考えるのが難しかったんだけれど、今、ふとなぜ浅野選手をリベロ登録にしてまで日本代表に選出したかったのだろうか、ということを考える。

この年が、中垣内監督が初めて就任した年なんだけど、交通事故による不祥事のため、ブランコーチが代理監督を務めていた。日本代表を選出したいきさつの中で、誰の意向が中心だったのか、それは定かでは無い。


2017/2018シーズンの監督を誰にするかは、結構ギリギリまで揉めて、南部監督を続行させるか否かも含めて、いろんな噂があったのも事実だった。個人的にはOQTの采配を見ていて(若手を積極的に登用する選手選出の面白さはあったけど)、采配という意味では世界と戦うには厳しいと思っていたので、ブランコーチが来たことは凄く頼もしく思っていた。

178cmの浅野選手がスパイカーとしての能力より(跳躍力は抜群とはいえ、大きな怪我の直後だったこともあり)、彼をなんとしてもチームに残したいという思いが働いたのではないか、ということだった。


この年は、世界選手権のアジア予選を勝ち得ることが最大の目標であり、グラチャンはいろんなことを試す場であったと、今となっては思うけれど、あの当時はそんな風に思えず、いろんなことが中途半端に見えていた。


ワールドリーグから世界選手権アジア予選まではアウトサイドとして、一定の評価が出来る活躍を見せた浅野選手を、グラチャンで再度リベロとして選出した。

正直、それはそれでありだと思ったので、リベロとしての浅野選手の起用を見せてほしかったというのが、あの時期の最大のモヤモヤ。浅野選手自体が、かなりいろんな思いを封印して、リベロ登録を受け入れたことは、その後のインタビュー記事などで語っているところだしね。

2017のグラチャンはいろんな試み(小野寺選手アウトサイド、出耒田選手オポジット)をしたけれど、結局何か実りはあったのだろうか。結果が出なかったことで、諦める気持ちが芽生えたのだろうか。


あの2メートル構想で、柳田が海外に行く決断をしたことが、唯一良かったことのように感じるだけだな。


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