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セレンディピティ

この記事は、16年前の自分へのツッコミというスタイルで書いています。


 寄り道は楽しい。意外な発見が期待できるからだ。もともと探している物や本来の目的があるのに、その過程で、自分が想像する以上の、別の何かと偶然にも出合えるかもしれない。刺激的である。

 「セレンディピティ」という言葉がある。好きな言葉の一つだ。意味は、偶然何かを発見する能力、偶発力、偶然幸福発見能力などとされている。関連書籍として「偶然からモノを見つけだす能力―『セレンディピティ』の活かし方」(澤泉重一著、角川書店)「『幸福な偶然(セレンディピティ)』をつかまえる」(日野原重明著、光文社)等がある。

 仕事を終えて帰宅するさいに、ふとした思いつきでいつもと違う道を通り、すてきな店を見つけたりする。必要な文献を手に入れるために、本屋や図書館に行ったのだが、思いがけず素晴らしい本に出合ったりする。ラーメンを食べに行ったのに、手違いにより偶然テーブルに運ばれてきたチャーハンのほうがおいしかったりする。これらはいずれも日常的に起こり得るセレンディピティの例である。

 韋駄天おまさと言われた随筆家の故・白洲正子さんは、あるテレビ番組で、完成された陶器やかごを買うよりも、使い込んで完成されていく過程を楽しむという意味で、「モノはつきあいが面白い」とコメントしている。能の橋がかりや歌舞伎の花道などのほうが面白いという彼女の感覚と通じるものがある。本舞台だけでは感じ得ない何かを発見できるかもしれない。道中を楽しむなかで偶然にも想像以上の何かを見つける。まさにセレンディピティである。

 2004年3月下旬にオープンした東京のコレド日本橋はセレンディピティというコンセプトを打ち出している。当時、丸の内あたりで、思いのほか仕事が早く終わったので、本屋に行く前にたまたま寄り道をして見つけたのがコレド日本橋だった。セレンディピティをセレンディピティによって偶然知った格好だ。

2007年9月5日


 私はどれだけこのセレンディピティという言葉が好きなんでしょうか。16年前もこの言葉を選んでいました。そして、このnoteのプロフィールにも好きな言葉として書きました。
 しかも可笑しいのは、このコラムの最後のオチ(のつもり)のつけ方です。16年前の自分のドヤ顔が想像されます😂。

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