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【本】ラヴ・レター

小島信夫『ラヴ・レター』読みおわる。久々に難解な、そうとう手強い本を読んだなあという実感というか満足感というか気疲れというか、そういうものでいっぱいです。自らを老小説家とか夫とよぶ、小島さんらしき(まあ小島さんのことだろうけど)主人公の日常が、淡々とつづられている短編集。

たとえば、トマス・ピンチョンさんであっても、ノートを丹念にとりながら、時系列や場所をきちんと整理していきさえすれば、物語の整合性についてはそれほど問題なくたしかめられるのに、もはやこの本の小島信夫は手がつけられないと早々にぼくはあきらめた。

話はあちらこちらへと自由自在に飛び、それもジャンプではなくてスケボーにのって真正面を向きながら真横や斜めに滑っていくふうで、油断していると、いや油断してなくてもいつのまにか主語まで入れ替わり、また戻ってきても、「何枚か前にも書いたように」とかいう、まるで人をくったような戻り方をするのだ。そうして話は唐突に打ち切られる。

ぼんやりとこういうことについて書いてあるらしい、というのはわかるのだが、なんかまとまった話としてあらすじを書けない。他の人がこの本をどのように読んだのかは気になるが、ぼくはさっきも書いたように早々に整合性をあきらめ、そのセンテンス・センテンスを、小さなひとまとまりの文章を声に出して読むことにしたら楽しくなった。

「淡々と」と書いたけれど、先妻とのあいだにできた長男がアルコール中毒で入院していることや、2番目の奥さんがいっしょにそばにいても小島さんのことをもはや夫と判別できなくなっている様子など、読んでいてそうとうツラくせつない話さえもが、交通事故の軽いけがで入院した友だちをふらりと見舞に行くような感じで書かれているのに胸が痛むのだった。

そういうわけで、内容については詳しくぼくは論じられないが、表題作の「ラヴ・レター」は全体としてもわりと面白く読んだ。保坂和志さんの書くものにもよく小島信夫さんは出てくるが、小島さんの本にも保坂さんはたびたび実名で登場する。

あるとき保坂さんが小島さんの家に電話をしたら奥さんが出て、いま小島さんは留守だといった。そのいい方が「まるで娘さんのようだった」と、あとから保坂さんに聞かされた小島さんが、なにかの折にそれを奥さんに話して聞かせると、奥さんは「まあシツレイな」といったという。それこそなんでもない夫婦の日常について書かれたこのエピソードがぼくはすごく好き。

奥さんの「シツレイな」はなにも、迷惑がってるとか怒ってるとかではなく、一時期の女学生がしたように、昔からの友人と談笑するときのイミもない口ぐせなんだと小島さんが(おそらく)読者に解説するところ。こういうところに小島さんの奥さんへの愛情が垣間見えてほのぼのする。

そんな小島さんは、奥さんへ求婚する手紙に、「自分は前の奥さんに死なれていまふたりの子どもの世話や家事に追われ仕事も手ににつかない、もう限界だ。子どものためには母親が、僕には妻が必要だ」いう、およそラヴ・レターには程遠い、いまだったら糾弾されかねないようなヒドイ内容の手紙を送ってよこしている。

それに対して奥さんは、返事を書かず直接小島さんに会いにきて、結局は結婚を決めてしまった。子どもたちも独立したころ、奥さんは英語教室に通ったときの課題で、生涯ではじめて英語の手紙を小島さんに書き、その手直しを当の小島さん本人に頼んでいる。それも微笑ましいが、さっきの小島さんの求婚の手紙も、その奥さんのラヴ・レターの中で明かされている。

奥さんは結婚後の夫としての小島さんを100点満点だといい、だけど遠慮して95点だと英文のラヴ・レターには書いてある。いったい誰に遠慮してなのか、と想像したらぼくはなんだかたまらなく可笑しくなって、この小島さんにしてこの奥さんありだな、と声をたてて笑ってしまったのです。

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